■ 東大寺二月堂、三月堂歴史紀行 ■

二月堂(国宝)は旧暦2月に「お水取り」が行われることからこの名がある。 二月堂は1180年の平重衡の兵火、1567年の三好、松永の戦いの2回の大火には焼け残ったとされているが、 1667年(寛文7年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物です。


法華堂(三月堂 国宝)は境内の東方、若草山麓にある。 東大寺に残る数少ない奈良時代建築のひとつで天平仏の宝庫として知られる。 東大寺の前身寺院である金鐘寺の羂索堂として建てられたもので、記録により743年(天平15年)までには完成していた。

■二月堂(国宝)■
本尊は大観音、小観音と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。 建物は2005年12月、国宝に指定された。

二月堂修二会(お水取り)は行中の3月12日深夜(13日の午前2時)には、「お水取り」といい、 若狭井という井戸から観音さまにお供えする「お香水」を汲み上げる儀式が行われる。

東大寺からやや登り坂を二月堂へ
二月堂の入口門

天候も良く、風がないので寒さはあまり感じません。絶好の散策日和です。 お年寄りとお孫さんらしい日向ぼっこの姿が微笑ましい! 境内から二月堂閼伽井屋(国重文)が確認できる。

二月堂閼伽井屋

石段を上がると手洗水
二月堂の建築物を真下から

本堂

二月堂修二会(お松明)は1250年以上一度も休むことなく続く伝統行事で、 寒い真冬の夜に大松明を持った童子が観客の頭上に火の粉を散らしながら舞台を走り抜ける。 二月堂見学後、三月堂に向かう。

二月堂から大仏殿も視認



二月堂閼伽井屋(国重文)

大松明を持った練行衆が内陣を駆け回る



二月堂

三月堂

■古都奈良公園の散策■
二月堂、法華堂(三月堂)と訪れ、まだまだ奈良公園には見るべきものが一杯ある。 時間の許す限り散策を楽しむ。この後は若草山へ向かった。 公園内には多くの国宝指定、世界遺産登録物件が点在し、年間を通じて日本国内のみならず海外からも多くの観光客が訪れ、 日本を代表する観光地の一つです。 奈良の大仏や鹿は国際的にも有名で、奈良観光のメインで、修学旅行生の姿も多く見られる。 東大寺修二会や奈良燈花会、正倉院展、春日若宮おん祭など古都ならではの見ごたえのある行事も数多い。

奈良公園案内図

小鹿

鏡池と鹿
鏡池付近で日向ぼっこの鹿

人懐こい顔の鹿

鏡池

喧騒を避けて正倉院へ行ったら、今日は休み…残念です! 正倉院は古都奈良の文化財の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。 正倉院は高床の大規模な校倉造倉庫で、 聖武天皇、光明皇后ゆかりの品など、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵している施設です。 次の機会に…。

正倉院門

手向山八幡宮の鳥居
正倉院から大仏殿が…

正倉院から若草山に向かい散策を続ける。 若草山に着いたら閉山中の看板…再度ガッカリ! 若草山は夏と冬は期間を設けて閉山するという。 開山期間は春は3/15〜6/15、秋は9/13〜11/24と記してある。
手向山八幡宮の正面を通り…

若草山の麓を散策(奥が若草山)

人力車が風情
閉山中の看板にガッカリ!

鹿がのんびり

公園内をのんびり散策し興福寺に向かう。 寺社仏閣を訪れると不思議と心が洗われリフレッシュできる。
若草山麓から、テクテク歩いて興福寺に到着!

■ 法相宗大本山 興福寺 ■

興福寺は南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院です。 南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖、藤原鎌足とその子息、藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、 古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。

藤原氏は鎌倉、室町時代には大和の守護もつとめた。 多くの堂宇が古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録されている。


東金堂(国宝)は726年(神亀3年)、聖武天皇が薬師三尊を安置する堂として創建した。 現在の建物は1415年(応永22年)の再建です。 室町時代の建築ですが、規模、形式ともに天平時代の堂に準じて建立されている。 興福寺国宝館の脇を通り、東金堂に到着。

東金堂(国宝)

五重塔(国宝)は730年(天平2年)、光明皇后の発願で創建された。 現存の塔は1426年(応永33年)頃の再建である。 高さ50.8mで、木造塔としては京都の東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。 三方向から撮影した。


三重塔前に地蔵

三重塔は正面だと影絵に…

三重塔は1143年(康治2年)崇徳天皇の中宮、皇嘉門院により創建された。 現在の塔は1180年(治承4年)の大火後まもなく再建された鎌倉建築です。
南円堂(国宝)は古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録されている。
北円堂(国宝)は現在の建物は1208年(承元2年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。 法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」です。

中金堂は藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための、寺の中心的な堂として710年(和銅3年)の平城京遷都直後に造営が始められたと推定される。 現在、一部の再利用できる木材を残して2000年に解体され、創建1300年の2010年完成をめざし、創建当初の姿を再現した新、中金堂の建設と境内の整備が進められている。


三重塔(再撮影)
南円堂は西国三十三箇所第9番札所
北円堂

興福寺講堂
北円堂から見る五重塔も古都を感じる

左側に中金堂が再建される
興福寺は現在大がかりに修復中で、観光客は少なかった。その代わり人が入らない映像を確保できた。 整備が終了後に再度訪問したい。
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