■ 琴平町と讃岐金刀比羅宮参拝 ■ |
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JR四国の気動車 JR琴平駅駅前に石燈籠 北欧風の駅舎 |
JR琴平駅前駐車場 機関車の動輪 駐車場から5分位で鞘橋に |
鞘橋(さやばし)は刀の鞘の形で呼称され、金倉川にかかる橋脚のない浮橋で、銅葺、唐破風造の屋根です。 金刀比羅宮の御大祭の時だけに使用される屋根つきの橋です。 四方から撮影し琴平電鉄駅舎、高燈籠へ向かう。 |
鞘橋(さやばし) | |
| 鞘橋から琴平電鉄へ |
高松琴平電気鉄道、琴平線は高松築港駅と琴電琴平駅を結ぶ私鉄で終着駅です。
琴平線の車両は東京の京王電鉄と京浜急行の車両を再利用しカラフルな車両です。
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琴平駅 駅ホーム 高燈籠 |
琴平駅 高燈籠 高燈籠 |
琴平町で鞘橋と高燈籠を見学し、金刀比羅宮の参拝に向かう。
いつどこで讃岐うどんを食するか…。
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新町の鳥居 旧高松街道の標識 金刀比羅宮の表参道 |
鳥居の説明 金倉川の一之橋を通り 懐かしい! |
本宮までの785段、まず1段目。 大門(総門)まで石段に沿ってお土産店が続く。 身体の不自由な人の駕篭は石段を登る時に前後でなく横移動する。(有料) |
| お土産は帰路に… 駕篭 | |
石段登り口の灯篭 杖を持つ人が… 帰路に杖がほしくなるかも… 百段堂の店…ここが100段目 |
備前焼狛犬は備前焼で高さ5尺の大きさで木村一族の細工人によって製作され、備前岡山の「長榮講」から1844年に奉納された。 灯明堂は1853年(安政5年)備後国因之島浦々講中の寄進で切妻造、瓦葺です。 |
一之坂鳥居が113段目 備前焼狛犬 重要有形民俗文化財「灯明堂」168段目 |
備前焼狛犬の説明 | 石段の端に200段」の表示 |
■ 讃岐金刀比羅宮 ■ 讃岐金刀比羅宮は長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段ある。 海の守り神として信仰され、現在も漁師、船員など海事関係者の崇敬を集め、海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭も毎年開かれる。 境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見れる。 金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。 |
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石段の切れ目で休憩! 琴陵宥常銅像 錨の碑 |
| 帝国水難救済会救難具の陳列所 「五人百姓」笹屋の案内 |
大門は威風堂々とした二重門で1650年に初代高松藩主の松平頼重候(水戸光圀公の兄)の寄贈で、二層入母屋造瓦葺です。 大門の手前、右側に金刀比羅本教総本部があり、1877年(明治10年)に建立された。 青銅大燈籠は讃岐金刀比羅宮で最も豪華で重要有形民俗文化財に指定されている。 |
大門は神域の総門 大門の左右に武者像 金刀比羅本教総本部 |
大門の左右に武者像が… 金刀比羅本教総本部…351段目 青銅大燈籠 |
金刀比羅本教総本部の向かいに鼓楼と清塚がある。
鼓楼は朝夕時刻を知らせる時太鼓を備えた高閣で、1710年(宝永7年)に建立された。
五人百姓は参道を挟むように左右に並ぶ5軒の飴屋。
大きな傘を広げた古風な姿で参拝客を迎える。
境内での営業を唯一許された由緒あるお店です。
その先、大門から150m続く石畳は桜馬場と呼ばれる。(石段数は365から431段目)
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鼓楼(清塚は見えない) 桜馬場の石燈籠 桜馬場を振り返る |
五人百姓…大きな傘をさして飴を売る5軒の店 桜馬場の途中、宝物館の入口 東京都豊島区の方からアフリカゾウの奉納 |
431段目、 何故アフリカゾウがあるのか、もしかしたら金刀比羅宮が象頭山にあるから…? 御厩では神様がお乗りになる「神馬」が見れる。 白馬はかわいらしい目をして好印象、栗毛の馬は機嫌が悪そう。 桜馬場西詰銅鳥居の元の位置は高燈籠の東側にあったものを、1912年(大正元年)に力士の12代目朝日山がこの場所に移設して修復した。 |
今治造船からの奉納プロペラ 神馬 桜馬場西詰銅鳥居 |
御厩 神馬 西洋画家の高橋由一館 |
ここまで、約半分の石段を消化した。 象頭山の山腹をぬうように続いている参道の周囲には灯籠や玉垣、鳥居などの見所が多く、お土産屋も楽しませてくれた。 額にうっすらと汗がにじんできた。 |
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