■ 飛騨高山 高山陣屋歴史旅 ■

高山陣屋は、元来、飛騨高山藩主であった戦国大名、金森長近の所有する下屋敷だったが、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所、郡代役所(陣屋)となった。 以降、現存する唯一の陣屋であることから文化財として保存し、ほぼ江戸時代ごろの状態にまで復元された。


白瀬温泉から高山市の中心部まで冬景色のドライブを楽しみながら今夜の宿に到着した。 チェックインしたら貸し自転車があると知り、フロントで2台借りて夕方の時間だが飛騨高山陣屋に歴訪した。

陣屋前の広場

陣屋の正面玄関

吟味所と呼ばれる刑事事件を扱った部屋
陣屋正門

玄関前から正門を撮影

門番の休憩所

早速、代官屋敷の中に入った。玄関には、2間半の大床があり、玄関床の壁には幕府が好んだ「青海波」が描かれている。 御役所は江戸から派遣された郡代(代官)、手付け、手代が勤務していた執務室で、幕府の政策を行う所です。 万一、陣屋の表玄関で何か突発しても、すぐに出動できる。

青海波

御用場

詰所から庭の景観、向こう側に玄関
御役所

帳綴場、町年寄詰所と続く…

町組頭詰所

下級役人が番茶をすすりながら休憩している光景が目に浮かんできます。 役所の台所は質素に見えたが、後から奥屋敷の台所を拝見したら、立派な台所がある。

湯呑所の囲炉裏

書役部屋から見る内塀

役所処の台所、流し台
書役部屋から見る内塀

役所処の台所

吟味所

ここから狭い廊下を抜けると代官の住居部分になる。 しかしその境界は合ってないようで、部屋が繋がっていた。 しいて云えば、役宅の部屋は造りが丁寧で広い。 内塀は意外と高さがなく、乗り越えようとすれば、いとも簡単に越えられる。 すでに夕陽が強く照らす陣屋では、日の陰影が色濃く照らしていた。

この廊下が公私の境界

役所と役宅の境の居室からの景観



役宅の居間から庭の景観

役宅の居間から大広間
役所と役宅の境の居室



役宅の居間から御居間

役宅の居間

役宅の居間

ここまでが陣屋の表の部分になる。 これらの各部屋で日常の役務がおこなわれていた当時を、目をつぶると浮かんできそう。

母屋は1816年に改築されたものが現在も残って、また敷地内の土蔵は、元々慶長年間に高山城内に建設され、1695年に現在地に移築されたものです。 建物の屋根は熨斗葺、柿葺、石置長榑葺(いしおきながくれぶき)など、いずれも板で葺かれている。 これは飛騨が雪国であるとともに木材の生産地であり、当時の瓦では雪で容易に損耗してしまうのに対して、木材は入手が容易であったためとされている。

ここからお役所から役宅へ入っていく。 御奥と呼ばれる扇面之間には雛人形が展示され、床の間、掛け軸のある部屋は日本和室の情緒を感じる。

お役所から役宅へ続く廊下

御奥と呼ばれる扇面之間

武家の御奥を飾る掛け軸
用人部屋から見る中庭

雛人形

役宅の各部屋を結ぶ中央の廊下

一部、3階建てで、後で外観の撮影時に確認できた。 嵐山之間から見えるお庭の景観と奥には土蔵が見える。

一番広い、御居間と呼ばれる嵐山之間

嵐山之間から見えるお庭


台所からお庭と、右に御勝手土蔵

土間にある竈は下台所で、女中、用人などが食事をとった場所で、もう一つの台所の竈は郡代(代官)などの家族の食事を作った場所です。

茶の間

土間にある竈

台所の食器棚

台所と土間の間にある囲炉裏の部屋
台所の土間

こちらは台所の竈



大広間の廊下

役宅から役所のもう一つの通路から大広間にきた。 大広間は儀式や会議などに使用した場所で、50畳ほどの広さで3つに仕切る事ができる。

玄関の間、御役所の奥にある大広間 使者の間に展示されている御駕篭

吟味所、御白洲は刑事事件を扱った場所で、責め道具が展示され、当時の取り調べの厳しさを知る。

吟味所から御白州を 吟味所、御白州の外観

ここから御蔵の見学コースになります。 御蔵は撮影禁止との張り紙があり、気がついた時は遅かった。でもストロボは使用しなかった。(後の言い訳) 御蔵は国重文に指定され、当時のままの建造物です。 全国でも、規模として最古で、最大の土蔵で、年貢米を貯蔵していた。 建築は慶長年間で、高山城三の丸にあった米蔵2棟を元禄8年に陣屋へ移築したものです。

高山陣屋の順路案内図





御蔵に貯蔵されている年貢米





防火や湿度の調整の役に立つ…
江戸時代の生活様子や役所の形など、当時を彷彿させてくれる見学に…。 陣屋の中をコースに沿ってワイワイ賑やかな声を聞きながら、多くの見学者とともに巡って、楽しく歴史見学できた。
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