■ 上杉の城下町 上杉鷹山と上杉神社 ■ |
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米沢城址公園にある上杉の城下町米沢の案内 松岬神社にある上杉鷹山公の像 |
松岬神社にある上杉鷹山公の説明板 | |
最初に松岬神社の境内に参拝。 積雪対策に板を利用するのは積雪量が多いと考えた。 境内を進み、社殿で参拝、社殿は大正時代に建立された。 |
鳥居から社殿まで一直線 | | |
左側にある池もまだ積雪対策が… 池の奥に手水舎 松岬神社社殿 |
松岬神社の反対側には米沢市文化ホールがあり、「天地人博」が開催されている。 ここは後で訪問することにし、まず米沢城址に向かった。 |
上杉記念館が遠方に… | 米沢市文化ホール |
米沢城址は米沢市街地のほぼ中心に位置し、本丸跡は上杉神社の境内となって、二の丸跡には上杉記念館がある。 舞鶴橋から本丸へ…、桜が開花する時期は素晴らしく、多くの人々で賑わい、季節を変えて歴訪したい。 信玄の旗、謙信の旗、それぞれ城址にはよく似合う。 そう思いながら、舞鶴橋を渡って本丸へ…。 |
本丸の濠 舞鶴橋と濠 舞鶴橋 |
舞鶴橋と濠 舞鶴橋入口 舞鶴橋から二の丸の上杉記念館が… |
一昨年は、年間を通して、武田信玄の歴訪を重ね、今年は謙信や鷹山、そして直江兼続の歴訪を目指す。
これも財務省(妻)の力のお陰か…。
これから本丸へ入るが、まるで子供の待ちこがれていた遊園地に来たような気持ちです。(笑い!) |
舞鶴橋にある特徴ある松 謙信公祠堂跡へ |
上杉謙信公の像 謙信公祠堂跡 |
■米沢城に関わるゆかりの戦国武将…伊達政宗公はこの米沢城で生誕した。秀吉によって仙台に移封されたが、後に仙台藩の基礎を築いた。 |
慶応年間の戊辰戦争で戦士した招魂碑 | |
| 伊達政宗生誕の碑 |
■米沢城に関わるゆかりの戦国武将…直江兼続公は上杉景勝を支えた文武兼備の将。樋口家の長男として坂戸城で生まれ、景勝の近習に選ばれ、側近として活躍。
重臣、直江家を継いで上杉家の中枢として活躍。軍事から内政まで米沢の基盤を築く。 |
上杉鷹山公の像 |
上杉鷹山公詠 |
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手水舎 |
上杉謙信公家訓十六ヵ条の碑 |
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上杉神社神門 拝殿を取り巻く透かし塀 | |
| 上杉神社拝殿 拝殿の階段 |
上杉神社の御祭神は上杉謙信公です。 1578年、上杉謙信が越後の春日山城にて急逝し、その遺骸を城中不識庵に鎮祭されたが、二代景勝が会津を経て米沢に移封されるに当り、祠堂を米沢城内に移して、260年に及んだ。 質実剛健の気風を備え、装飾は少ないながらも堂々とした構えです。 |
神楽殿 | 福徳稲荷神社 |
| 積雪対策のためのシート | |
上杉神社は大正8年の米沢大火で 焼失したが、大正12年に再建された。 設計者は、米沢市出身で明治神宮、出雲大社、靖国神社など多くの建築物を設計した伊東忠太博士です。 |
冬が過ぎれば庭園にも緑が映えて美しくなる。 |
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十三代上杉曦山(斉憲)公の碑 |
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春日神社は上越の春日山頂に、奈良の春日大社を分霊し領内の平和を祈り、戦国時代の上杉家は代々春日神社を守り神として敬い続け、藩主の移封と共に新潟から会津そして米沢へと移った。 その後、減封を続けた上杉家は藩の財政が苦しく、再建を願った鷹山公は春日神社へ誓詞奉納をした。 春日神社をさらに進むと本丸の菱門橋の出口を出た。 ここから二の丸の上杉記念館に向かう。 |
本丸を隅々まで散策して二の丸に出た。 一度、休憩をとりたいが喫煙できず、足も疲れてきた。 ここで辛抱して二の丸を歴訪してから大休憩をとりたいと思う。 |
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