■ 上杉の城下町 二の丸跡、上杉記念館の歴訪 ■

上杉謙信は軍旗に「毘」の文字を用いた。 毘沙門天の「毘」「刀八毘沙門の旗」と称して進軍、戦陣にも常に隊の先頭に掲げていたということです。 龍の文字を記した軍旗は「懸り乱れ龍」の旗と呼ばれ、上杉軍総攻撃の時にだけ本陣に掲げらたそうです。


本丸の菱門橋からお濠を撮影。そばには桜の古木が…耳をつければ歴史を話してくれそう。 外側から見る本丸は、幅広いお濠だが、石垣でなく土盛りの質素なものです。 米沢市座伝承館の中へ入ったが、目の前の庭の景観を撮影して終わり…誰もいないので入りづらい。

本丸の菱門橋からお濠を撮影



米沢市座伝承館の中庭


米沢市座伝承館

復元された長い塀に沿って歩いてゆくと、お目当ての上杉記念館の裏門に到着。 裏門から入ってすぐ蔵がある。蔵の下部には空調の役目の石の窓があり、高山陣屋の蔵と同じです。 記念館はお食事処で、予約制でした。個室の部屋で米沢牛、郷土料理が食事ができる。



空調の役目の石の窓

記念館前の庭園
上杉記念館の裏門

上杉記念館の正面

記念館前の庭園から、木戸を通って内庭に入れる。 そこには昔の時代に戻ったような景観があった。 大正時代のロマンを感じさせる素晴らしい建築物です。






上杉記念館、上杉伯爵邸は、明治29年、上杉茂憲伯爵(最後の米沢藩主)の本宅として造営されたが、大正8年、米沢の大火で類焼し灰燼に帰した。 大正13年に再建されたのが現在の建築物です。
上杉伯爵邸とある立派な門を出ると本丸南側のお濠そばに出る。 ここから両方向の景観を撮影したが天候が今一でした。



上杉記念館、上杉伯爵邸の門構え

舞鶴橋方向のお濠




菱門橋方向のお濠

松が岬公園のほぼ全体の歴史散策が終わり、上杉城史苑に戻った。 急に空腹感を感じ、食事をとることにした。もちろん米沢ラーメン! 縮れ細麺であっさりした醤油味のスープによく合って美味しく戴いた。 大休憩もしっかり取って午後は米沢の周辺に足を伸ばす。

天地人博と上杉鷹山公のご隠居跡、明治の木造建築(国重文)の歴史の散歩道に向かう。 上杉城史苑の向こう側には芝生広場が広がり、伝国の社、上杉博物館がある。 ここでは天地人博が開催されている。 午後は天地人博を簡単に見て、鷹山公のご隠居跡、明治のネオバロック木造建築、春日山林泉寺、上杉家廟所を散策したい。
上杉博物館には盛大な看板があり、天地人博が開催されている。 天地人博の入口で、日程の関係でパス!

期間…平成21年1月24日〜平成22年1月11日

北斗星と天地人

博物館内にある舞台…午後の舞台説明中

館内の様子

二の丸の弁天と弁天橋とお濠

ともあれ、二の丸の外側にあるお濠の弁天、弁天橋の景観を横目に、住宅地へ向かう。 米沢藩中興の名君、上杉鷹山公の隠居殿「餐霞館」の跡を住宅地の中を捜した。 餐霞館遺跡は初めは漢字が読めなくて…「さんかかん」と読む。 ベンチがあり、休憩しながら説明板をメモ。

住宅地に佇む「餐霞館」の跡



「餐霞館」の見取り図




隠居した後も、後進の指導に熱心で、人を育てる大切さが、次の時代を切り開いた。 国立山形大学の構内に、国重文の洋風建築物を捜した。 旧米沢高等工業学校本館はネオバロック建築の木造2階建てで、旧制の高等学校として全国で7番目に建てられた綺麗な建築物です。 山形大学工学部として現存のため、見学は外観のみしか出来ませんでした。














このそばにファミリーマートがあり、学生達のチョイ買い物に利用されている。 ここで一服の喫煙タイムをして、春日山林泉寺、上杉家廟所へもう少し足を伸ばしてみたいと思います。

山形大学から歩くこと10分ぐらいで春日山林泉寺を見つけた。 どこも駐車場があり、車で移動してもよいが、街中を歩いて見るとその地域の歴史を細かく観察できる。 禅定石…、禅定とは「坐禅によってきまるところにきまっている」ということで、人も石も坐禅すれば、そのまま佛という意味です。

春日山林泉寺山門

春日山林泉寺建立の説明

境内の案内標識
春日山林泉寺の駐車場

残雪のある春日山林泉寺本堂

禅定石

拝観料は200円。 大きな樹の中を行くと境内の中央に「ふれあし観音」があり、そばに祈りの鐘がある。

春日大明神



ふれあし観音
春日山林泉寺本堂

廟所へは一本道

廟所入口の説明板

ふれあし観音の奥に上杉家の廟所の入口があり、説明板がある。 しっかりお参りして、撮影を開始。 多くの人々がそれぞれ参拝に訪れていた。

入口

鷹山公後室、お豊の方のお墓

鍋島夫人市姫のお墓
幕府老中保科正之の娘、会津夫人媛姫のお墓

景勝公生母、綾御前

鍋島夫人市姫のお墓

甲州夫人菊姫…上杉景勝公の正室で武田信玄の娘、武田勝頼は上杉景勝と和議し、妹菊姫を景勝に嫁がせた。
武田信清の墓…名将武田信玄の六男で、上杉景勝の正室菊姫の弟にあたる信清の墓。 ここには林泉寺武田家墓所の奥にある大きな五輪塔があり、武田家の数奇な運命と共に、上杉家の義に厚い家風を偲ばせる史跡です。
直江兼続夫婦のお墓…米沢藩の基礎を築いた直江兼続と、その妻お船のお墓、上杉家の重臣として生涯景勝を補佐し、米沢移封後は城下の整備から藩政全般にわたり偉大な足跡を残した。

甲州夫人 菊姫のお墓





武田信清のお墓と武田一族のお墓


林泉寺の後は最後に上杉家墓所へ向かう。夕方が迫り時間が切羽詰まってきた。 川中島で激戦を交えた信玄と謙信の子が結婚する数奇な運命がこの時代にあった。 真言宗豊山派法音寺、米沢藩主上杉家菩提寺に到着。



真言宗豊山派法音寺


春日山林泉寺から上杉家墓所へ、上杉家先祖の菩提所を越後高田から移し、上杉家藩主の奥方や、子女、また直江山城守兼続らの同家重臣の廟所となっている。 上杉家墓所は米沢市の北方に位置し、樹齢300年を越す、杉の巨木に囲まれた静かな墓所です。 廟所の門は閉門の時間になり閉ざされていた。残念……、せめて次回のために、正面の景観だけはと撮影した。

真言宗豊山派法音寺



廟所の正面の門




夕闇も迫り、残念ですが今日の宿泊地喜多方市の宿へ向かった。途中の有料道路を使って1時間のドライブです。 峠を超える頃には夕闇が迫って、山の夕暮れは早いなと感じた。今日は銀山温泉街や米沢の街中を歩いたので、温泉で疲れをとりましょう。

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