■ 上杉の城下町 二の丸跡、上杉記念館の歴訪 ■ 上杉謙信は軍旗に「毘」の文字を用いた。 毘沙門天の「毘」「刀八毘沙門の旗」と称して進軍、戦陣にも常に隊の先頭に掲げていたということです。 龍の文字を記した軍旗は「懸り乱れ龍」の旗と呼ばれ、上杉軍総攻撃の時にだけ本陣に掲げらたそうです。 |
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本丸の菱門橋からお濠を撮影 | 米沢市座伝承館の中庭 |
| 米沢市座伝承館 | |
復元された長い塀に沿って歩いてゆくと、お目当ての上杉記念館の裏門に到着。 裏門から入ってすぐ蔵がある。蔵の下部には空調の役目の石の窓があり、高山陣屋の蔵と同じです。 記念館はお食事処で、予約制でした。個室の部屋で米沢牛、郷土料理が食事ができる。 |
| 空調の役目の石の窓 記念館前の庭園 |
上杉記念館の裏門 上杉記念館の正面 | |
記念館前の庭園から、木戸を通って内庭に入れる。 そこには昔の時代に戻ったような景観があった。 大正時代のロマンを感じさせる素晴らしい建築物です。 |
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上杉記念館、上杉伯爵邸の門構え 舞鶴橋方向のお濠 |
| 菱門橋方向のお濠 |
松が岬公園のほぼ全体の歴史散策が終わり、上杉城史苑に戻った。
急に空腹感を感じ、食事をとることにした。もちろん米沢ラーメン!
縮れ細麺であっさりした醤油味のスープによく合って美味しく戴いた。
大休憩もしっかり取って午後は米沢の周辺に足を伸ばす。
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期間…平成21年1月24日〜平成22年1月11日 北斗星と天地人 | |
博物館内にある舞台…午後の舞台説明中 館内の様子 二の丸の弁天と弁天橋とお濠 |
ともあれ、二の丸の外側にあるお濠の弁天、弁天橋の景観を横目に、住宅地へ向かう。 米沢藩中興の名君、上杉鷹山公の隠居殿「餐霞館」の跡を住宅地の中を捜した。 餐霞館遺跡は初めは漢字が読めなくて…「さんかかん」と読む。 ベンチがあり、休憩しながら説明板をメモ。 |
住宅地に佇む「餐霞館」の跡 |
「餐霞館」の見取り図 |
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春日山林泉寺山門 春日山林泉寺建立の説明 境内の案内標識 |
春日山林泉寺の駐車場 残雪のある春日山林泉寺本堂 禅定石 |
拝観料は200円。 大きな樹の中を行くと境内の中央に「ふれあし観音」があり、そばに祈りの鐘がある。 |
春日大明神 | ふれあし観音 |
春日山林泉寺本堂 廟所へは一本道 廟所入口の説明板 |
ふれあし観音の奥に上杉家の廟所の入口があり、説明板がある。 しっかりお参りして、撮影を開始。 多くの人々がそれぞれ参拝に訪れていた。 |
入口 鷹山公後室、お豊の方のお墓 鍋島夫人市姫のお墓 |
幕府老中保科正之の娘、会津夫人媛姫のお墓 景勝公生母、綾御前 鍋島夫人市姫のお墓 |
甲州夫人菊姫…上杉景勝公の正室で武田信玄の娘、武田勝頼は上杉景勝と和議し、妹菊姫を景勝に嫁がせた。 |
甲州夫人 菊姫のお墓 | |
| 武田信清のお墓と武田一族のお墓 |
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真言宗豊山派法音寺 |
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春日山林泉寺から上杉家墓所へ、上杉家先祖の菩提所を越後高田から移し、上杉家藩主の奥方や、子女、また直江山城守兼続らの同家重臣の廟所となっている。 上杉家墓所は米沢市の北方に位置し、樹齢300年を越す、杉の巨木に囲まれた静かな墓所です。 廟所の門は閉門の時間になり閉ざされていた。残念……、せめて次回のために、正面の景観だけはと撮影した。 |
真言宗豊山派法音寺 |
廟所の正面の門 |
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