■ 新潟上越 林泉寺 ■

越後守護代、長尾能景が創建した。能景と為景の保護を受けて守護代長尾氏の菩提所として発展した。為景の末子の長尾景虎(謙信)は林泉寺に預けられここで教育を受けた。上杉景勝が会津移封後は徳川の庇護の下で春日山城主の堀氏ら、上越地方の高田藩支配者により菩提寺として続いた。


2〜3分で林泉寺の境内前の駐車場へ到着。 駐車スペースが少なく、隅っこに駐車した。 説明板の前で団体が説明を受けていたので、近くでチャッカリ聞いた。 惣門は周りを囲ってあり、当時の春日山城址の搦手門を移築した物です。

惣門(春日山城の搦手門を移築)

春日山城址と林泉寺の全体の絵地図

惣門
林泉寺の栄枯盛衰が記された説明板

惣門

惣門の内側

惣門を通り過ぎると真正面に山門が見えてくる。 山門に掲げられる「第一義」の扁額は、謙信公の自筆(現在掲げられているものは複製、実物は境内の宝物館にて保管)と云う。 足を踏み入れれば、越後と呼ばれていた500年前の、悠久の歴史の重みを感じることができる。 2つの龍を撮影!上向いて撮影すると口が自然に開いた(笑)

カキツバタと山門

山門には春日山の号が…

2つの天井にもうひとつ龍の絵が…
山門

山門をくぐった天井には龍の絵が…

山門の扁額は謙信が描いた文字(複製)

林泉寺は謙信公の祖父の長尾能景が、父、重景の菩提を弔うため1497年(明応6年)に建立した寺院です。 ここで謙信公は天室光育の厳しい教えのもと、7〜14歳までを過ごした。 戦国の武将の中でも教養が高く、信仰心が厚い謙信公はこの時期に培われたと云う。
境内は室町時代の様式を伝える庭園と云われている。 宝物館には長尾家から始まる上杉家の当時の甲冑から武具に至るまで、非常に多くの展示物があり、 撮影はできないが、見学して非常に参考になることが多く、改めて歴史の面白さを拝見出来た。

美しい境内

宝物館

水鉢
春日山懐古の石碑

春日山懐古の説明板

謙信が学んだ事を巨石に刻んだ説明

4月中旬の桜の開花する時期は境内にある美しい庭園は落ち着いた雰囲気になる。 この日は駐車場のバス以外は満車で、その割に人が多く見受けられないのは、実は宝物館の中で大混雑でした。

鐘楼

境内中央に鐘楼

本堂の林泉寺の扁額


本堂

本堂内の謙信公

惣門から本堂まで散策し、この後は謙信公の墓前に向かう。 本堂の左手方向から御墓所の方へ向かい、上に登ると、謙信公の御墓所は意外に質素でした。

本堂横から…

御墓所入口

謙信公の御墓所
御墓所の案内

御墓所入口にある謙信公の石碑

川中島戦死者供養塔

江戸時代になり、林泉寺には堀家三代のお墓、榊原家そして高田藩城主、家康の六男、松平氏のお墓もある。 山を下りて境内に戻ったが、早朝からの散策で疲労感がたまってきた。

榊原家のお墓

高田藩城主、松平氏のお墓
山奥にまで墓所が延びている

境内を出て駐車場に戻り、ガイドを見ながら次の訪問先を検討した。 のどが渇いて美味しい水を…、そして喫煙、二人とも足に疲労感を感じてきた。 妻も疲れているが、カメラの楽しみを理解してきた感じ。
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