■ 上越から北信濃へ、川中島古戦場、海津城址に歴訪 ■ |
|
飯縄山の夕景 黒姫山の夕景 黒姫山の朝景 |
妙高山の夕景 妙高山の朝景 妙高山の朝景 |
駐車場に着いたのは8時50分、駐車場は開いてなく、道路に駐車して公園内を散歩! 公園の散歩の主役は、犬の散歩とジョギングの人々です。 どこでも見られる光景でありながら、挨拶も気持ちいいものです。 5分も待たずに、公園の係員が駐車場を開けてくれた。 「おはようございま〜す!」の掛け声で公園内に活気が漂ってくる。 お土産店が一斉に開店準備を始めた。 |
|
八幡社の正面入口 鳥居 | |
| 川中島の合戦の両軍の配置図 信玄と謙信の対峙 |
首塚は川中島の戦いの戦死者を高坂弾正が、敵味方を問わず、戦死者を弔った。
それを知った謙信が、後に塩に悩む武田に「我、信玄と戦うも弓矢であり、魚塩にあらず」と塩を送り、後に「敵に塩を送る」と云う言葉が生まれた。 |
首塚の碑 旧社殿(鞘堂) 社殿正面 |
龍虎の碑 現在の社殿 社殿の全景 |
逆槐(さかさえんじゅ)は槐を土塁に陣地として積み重ねたものが、この時代に大樹に成長した。 |
逆槐(さかさえんじゅ) 執念の石 信玄と謙信 |
三太刀七太刀の碑 信玄と謙信 信玄と謙信 |
古戦場跡の散策を終わり、満開の桜を見ながら公園の散歩をして駐車場へ戻った。 次の予定のコースをカーナビにセットしている間に、妻はいつものお土産店へ…。 |
|
■ 海津城址に織田の痕跡はあるか? ■ |
|
2年前にも、この踏切を通った 二の丸南門から見る太鼓門 桜咲く本丸石垣 |
二の丸入口 太鼓門 太鼓門 |
直江兼続が上杉家使者として、高坂弾正と交渉し、上杉、武田の同盟のきっかけを作った海津城は桜が満開でした。 桜祭りの準備で松代町の人々がテントや屋台のオープン準備をしている。 午前10時近くなり、観光客も増えてきた。 近所の人々の散歩のコースにもなっている。 |
太鼓橋 太鼓橋 東不明門橋 |
本丸と二の丸をつなぐ東不明門橋 石垣を彩る桜 東不明門橋 |
明治の廃城以後の松代城は、往時の姿が想像できないほど城としての景観を失った。
発堀調査や往時の絵図資料をもとに江戸時代の景観を復元したそうです。
妻も撮影で私の後ばかりでなく、自分で撮影構図を捜し求めて、時々、どこにいるのかお互いが探しあって、合流するのに苦労する。 |
| 本丸から見た北不明門 |
本丸内から太鼓門を… 本丸碑 |
天守台に上ってみる。 妻のデジカメは桜がメインで城址が脇役のように撮影されている(笑) 地元の人が石垣の造成では、極力、当時の石を使い、足らない部分を新しい石を使ったそうで、石垣をよく見ると判った。 妻がデジカメの使い方で判らない事を聞きに来ると私も自慢げに説明…。 |
|
北不明門全景 |
| |
|
||