■ 真田邸と真田家菩提寺・長国寺を歴訪 ■

海津城址から古い町並みの松代町の散策に向かう。 真田邸は止めてある駐車場から近いので、休憩してから散策し、真田家菩提寺・長国寺は離れているし、駐車場があるので車で移動した。 真夏のような日差しを受けながら、真田邸に向う。 松代藩文武学校の前では、以前に比べて訪れる人が少なかった。 校内は桜が満開で北信濃の春が感じられる。


松代町を散策して松代藩文武学校に到着。 途中で町中に残されたお濠の跡も見られる。 真田の町中は道路が整備され、歴史を感じる美しい土塀やお店が続く。

街中にある濠

松代藩文武学校

校内
真田の雰囲気抜群



街中は静かで特に中学生がクラブ活動なのか目立ちました。 真田邸の正面の門は修復中で覆いが囲ってありました。…残念! 真田邸は前回訪問の時は庭園が修復中でしたが、ご覧のように綺麗に修復されていた。

真田邸

真田邸庭園
街中が綺麗でゴミがない

この後、駐車場に戻り、真田家菩提寺、長国寺へ移動する。 落ち着いた雰囲気のある長国寺の山門です。 長国寺本堂の真田紋が印象に残った。 石庭と思われる境内は広く、静けさが漂っている。 本堂の後ろに回ると開山堂が続き、その奥には板塀に囲まれた真田家の霊屋がある。

長国寺山門



長国寺本堂

真田の六文銭

長国寺開山堂

長国寺開山堂は松代真田家三代幸道の霊屋として建立されたが、本堂再建時に現在地に移した。 松代藩真田家初代真田信之の霊屋で1660年に建立されたものです。 真田信弘霊屋と表門は囲い塀が新しく修繕されていた。 再度、真田信之の霊屋を反対側から撮影。

鐘楼

真田信之と信弘の霊屋

真田信之霊屋

真田信弘の霊屋(国重文)
真田信之の霊屋

真田信之の霊屋表門

真田信弘霊屋と表門

本堂

墓域の一部を除き、長国寺の全域が国の史跡に指定されている。 霊屋は普段は入れないが、拝観料を払えば墓所や霊屋を見学、説明してくれる。 しかし内部は撮影禁止と言う事で外観だけの撮影になった。



■ 上杉と武田の同盟に尽力した智将、高坂弾正を探す ■

松代町から上田市へ抜ける県道36号線の途中、豊栄小学校の裏手にあり、初めての人には判りにくい所に明徳寺というお寺がある。 1390年(明徳元年)に建立され、武田の智将といわれた海津城主、高坂弾正忠の墓がある曹洞宗のお寺です。 映画「硫黄島からの手紙」で注目された栗林忠道中将(松代町出身)の墓碑も建立されている。


1578年(天正6年)高坂弾正は海津城で病没し、本人の遺命で明徳寺に葬られた。 川中島は古くから人口が密集する肥沃な地域で、交通の要衝にあたり、鎌倉時代からしばしば合戦の舞台となっている。 仁王門までの参道が修復され、前回訪問時の時と景観が大分変わった。

駐車場から明徳寺前に…

土台が修復

参道脇に桜並木

仁王門前


武田信玄は、この要衝の地を奪い信濃全域の掌握をめざし、これに対し、上杉謙信は北信濃の武士たちに請われて、義侠心から川中島に出兵した。 大河ドラマを二人で見る機会が多くなり、妻もこの時代の歴史に興味を持つ様になった。 お堂には「酒飲み弥勒」の伝承を持つ弥勒菩薩も安置されている。

仁王門

高坂弾正忠昌信の案内柱

栗林忠道中将(松代町出身)の案内柱
仁王門入口には大わらじ

高坂弾正忠昌信の墓

弥勒菩薩

境内を一巡しながら妻もデジカメで撮影するが、撮影対象は桜や花壇の花に及び、撮影枚数が増えた。 この時期、枝垂桜と鐘楼がよく似合う。 明徳寺の本堂は入口が建物の左寄りに設けられている珍しい造りで、真田家長国寺、米沢の春日山林泉寺、真田信綱寺などこの地方の特色なのか…。



鐘楼

本堂
境内から見た仁王門

庫裡

境内には桜が満開…

朝から史跡を歩き、足腰も心地よい疲労感がある。 お昼になり、日帰り温泉の「地蔵温泉 十福の湯」で昼食と温泉を楽しもうと、明徳寺からそのまま地蔵峠を越えて、県道36号線を上田市に向って走った。 前回訪問時は真田町の千古温泉を愉しんだが、今回は昼食を兼ねて向かった。

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