■ 国宝 現存12城 犬山城本丸天守へ ■

犬山城は1537年、織田信長の叔父である織田信康によって築城され、尾張と美濃の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となった。 城主はめまぐるしく変わり、戦国時代の小牧、長久手の合戦では、羽柴秀吉が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、 小牧山城に陣取る徳川家康と直接対決をした。


城郭への入口は門が無く、塀があるだけで違和感があった。 入城してすぐお濠の跡に架かる赤い橋を渡ると、庭園のような景観が見れる。 犬山城の説明板には環境の保全についても記してあった。



お濠の跡に架かる赤い橋


中御門跡

左側は深い濠跡があり、石畳道が右に折れてゆく、この付近は三光稲荷神社の裏側になる。 ここは矢来門という門があり、門の礎石が中央に視認できる。 登城道はこれから左に折れて続き、丁度、針綱神社の拝殿の所を曲がる。 矢来門から松の丸への入口にあたる松の丸門跡を通過、この下は針綱神社境内です。

ゆるい上り坂の石畳道

矢来門の礎石

松の丸門跡
右に折れると登りが急に…

針綱神社の拝殿横を通過

曲がり角の所に黒門跡があり礎石を視認

右手に杉の丸、左手に樅の丸があり、中央の急な石段を登る。 岩坂門は登城道最後の坂道を登りつめた位置に岩坂門があった。 本丸門は登城道最後の本丸門入口の門で外側が鉄で防御されていたので鉄門とも云われた。 (現在の本丸門は旧門とは関係ない)

中央の急な石段

岩坂門跡

鉄門跡に現在の本丸門
本丸門が見えてきた

右手の案内所で入場料を支払う

登城!石段を一歩一歩…

犬山城天守は三層五階の望楼式で、間近に見る天守もいい姿をしている。 犬山城は現在でも旧城主成瀬家の所有物で、全国に城跡は数多く残るが、国宝天守を有する城郭が個人の所有物であることに驚いた。
さらに城主成瀬正肥公は幕末の難しい国政の時、尾張藩主徳川慶勝公を助け、勤王の立場で諸問題を解決した。その功績で石碑が建立された。





右下の付櫓がアクセントになり優美な姿
模擬隅櫓が石塁上に…

本丸の広場は旅情感を満喫!

城主成瀬正肥公の功績の石碑

七曲門は別名、見張門ともいい、ここから木曽川の景観を視認できる。 七曲門の付近は、当時の石垣がそのまま残り、まさに歴史を物語る石垣群です。
御神木の杉の木は数百年の風雪に耐えてきたが、現在は残念ながら枯死している。 しかし、枝を切り囲いをして現在でも保存に努めている。

七曲門は別名、見張門

石垣は修復した痕跡が…


御神木の杉の木
ツインブリッジ(犬山橋)が遠望




秀吉と家康の小牧、長久手の戦いなどの舞台となった犬山城に今ここに居るんだという実感が湧いてきた。 野面積みとは自然石を自由に組み合わせて、石垣を造ることをいう。 切った石を組み合わせた石垣に対して力学的に弱い面がある。

本丸石塁から天守を…

天守の石垣は野面積み

天守の入口にはテントが張られているが、これは国宝としての景観を損なっているのではないかと思った。

入口で持参したカメラの三脚を預け(中は狭く階段や壁にぶつかり傷ができるのを防ぐ為)、靴をビニールに入れて中に入りま〜す。 400年以上前のお城の中を見学。

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