■ 越後 六日町 雲洞庵 ■

カーナビで樺沢城址から車で10分足らずの時間で到着。 ナビがあると便利、雲洞庵に9時過ぎに到着! 駐車場には10台位の車が駐車。 開館時間は9時で売店もまだオープン直後で、案内図や資料を確認するのに丁度良い時間です。 雲洞庵の右手の塀に沿って道路が続き、駐車場へ向う。 バスも入れて30台位の駐車場で警備員の人達が打ち合わせをしていた。


オープン直後でバスや個人の観光客が境内に入っていった。 私達は撮影があるので遅れて向かう。 雲洞庵の正面門は常時、閉鎖で塀に沿って行くと駐車場がある。 塀に沿って内側の通路を進むと受付所があり、ここで入館料を支払う。(300円)

9時過ぎに到着 雲洞庵の正面門

黒門
正面門の塀が続く

黒門(内側)

人々の流れが過ぎてから、撮影しながらゆっくりと境内に入った。 赤門前の広場ではカメラマンが営業の支度中! 記念撮影台にはカメラマンの子供が遊んでいる。

赤門前の広場…カメラマンが営業の支度中!

奉納された大草鞋
赤門

赤門の扁額

「雲洞庵の土ふんだか」の石畳を踏みしめて参拝する。
■雲洞庵の土踏んだか…赤門より本堂に至るまで石畳の参道があり、その石畳の下に法華経を一石一字づつ、しるし、その経石を敷きつめたことから、この石畳を踏みしめてお参りすると罪業消滅、万福多幸の利益に預かると云う。 左手に仏舎利塔があり気持ちが引き締まった。

石畳を踏みしめて…

仏舎利塔
灯籠の先に石畳は続く

客殿と鐘楼

見落としが無いように左右注意して石畳を歩く、境内は広く奥行きもありそう。 右手の池の向こう側は帰路のコースです。 鐘楼の全景をデジカメに収めるのに苦労した。

境内の池

客殿
鐘楼

境内に珍しい形をした樹が…

石畳を進むと正面に本堂が見えてきた、なんと本堂は修復中でパイプで覆われていた。(残念!) 石畳は右に折れて進み、はて?この景観をどこかで見たような気がした。 思わず妻と顔を見合わせた、そうだ上越の春日山林泉寺と境内の形が同じだ! 似たような境内を振り返り見回した。

ここでお線香を…

本堂前の石像

宝物殿
左手に観音像と奥に観音堂

不鮮明な石像

境内の池

本堂に入る時、入口で撮影についての説明を聞き、特に制限している所はないので、三脚をたたんで本堂に入った。 外は蒸し暑かったが本堂に入ると、ひんやりとした空気感です。 雲洞庵は金城山の麓にある曹洞宗のお寺で、室町時代の永享年間、上杉憲実公によって建立された。 その後、江戸時代1707年に、新潟の小黒甚内を棟梁とする大工達によって再建された。

庵内拝観入口を入ると長生きの水があり、金城山から湧き出る霊泉で、病に苦しむ多くの人が救われたと云う。 開門と同時に入館した人達がお水を戴いていた。 最後の人がやっと終わり、撮影開始。

庵内拝観入口

湧出口
庵内を入ると「長生きの水」

庵内

庵内を進むとすぐ右手に内陣があり座禅してしばし瞑目した。 内陣の映像はぼかしてあります。 雨降り地蔵は琵琶湖の湖底から漁師によって引き上げられ、水をかけろと地蔵が言ったという。 これで都の水飢饉が救われ、その後、謙信が能登を攻めた時に手に入れ、雲洞庵に持ち帰ったと云われる。 雨降り地蔵は本堂内陣の横にある。

本堂、内陣前

雨降り地蔵

座禅堂へ
内陣

本堂

座禅堂

座禅堂は多くの人が座禅が出きるようになっている。 座禅の黒い座は硬い石です。 冬の寒い時は、座禅を組んでも足腰の感覚が無くなるのではないかと高校生の頃、剣道で座禅を組んだことを思い出した。 静かなこの場所が気に入って暫くここで瞑想した。

座禅堂

座禅堂
座禅堂の中央にある

座禅堂から観音堂が…

お坊さんが連れの人を伴って、見学に来たのを機会に観音堂に移動する。
観音堂には格子がはまっていて千手千眼観音の全体がよく見えなかった。

磨き上げられた回廊を移動して…

観音堂の千手千眼観音
観音堂の千手千眼観音

回廊から見える客殿

客殿の二階の高い位置から境内の全体が見渡せて、ここで暫く景観と静寂を楽しんだ。 二階は座敷の部屋でテーブルもあり落ち着く。 床の間には「愛」の文字のある掛け軸があった。 窓から坂戸城址の富士権現の赤い社が肉眼で確認できた。(赤の○部分)
妻は客殿が気に入ったようで、撮影しながらあちこち歩きまわり最後は休憩していた。\(*^o^*)/

客殿、二階の欄干

二階の床の間

客殿から見た観音堂と回廊

客殿から本堂方向
客殿二階の部屋

坂戸城址の富士権現の社が…

客殿から見える鐘楼

客殿の一階から庭の花

本堂に戻り、後ろ側に回るとブルーのカーペットの敷かれた広い部屋がある。 窓側には風流な窓枠から座禅堂に続く回廊があり、境内の新緑が輝いている。

内陣の左側には唐代の禅僧の襖絵が描かれている。 そして本堂の奥の開山堂に向かう。 内陣を回り込むように回廊が続き、一番奥に開山堂がある。 ここには初代から歴代の師の位牌が安置してある。 また、上杉謙信公及び、徳川家康公の位牌もお祀りしてある。

花頭窓枠からの景観
一階はブルーのカーペットの広い部屋

開山堂入口
禅僧の襖絵

開山堂

開山堂から回廊を通り本堂に戻る。 本堂の回廊を進みながら、境内の景観を撮影、雲洞庵が金城山の麓にあり自然が残されている。






雲洞庵は717年、藤原氏ゆかりの尼寺として開かれ、藤原家の尼僧院として栄えた。 雲洞庵は鎌倉から室町時代にかけて武士が台頭してくると藤原家からの援助も途絶え、荒廃したが、その後、上杉家により再興され、 戦国時代には上杉謙信公によって多くの庇護を受けた。

静かな本堂

さらに大太鼓、鐘楼
本堂入口の上にある槍

本堂を通り過ぎて

雲洞庵の通天存達和尚は、豪族長尾家の出身で、兄弟政景が早く亡くなり、 一子、喜平次(景勝)を引きとって雲洞庵で修行させ、喜平次(景勝)の家来として一緒に修行したのが、与六(直江兼続)です。 景勝、兼続は戦国時代の武将としては教養高く、論語を学び、ほとんどの戦国武将がひらがなしか書けなかった時代に達筆であったと云う。 その修業の場所に向かう。
雲洞庵で喜平次(景勝)と与六(直江兼続)の薫陶を受ける幼き日の修行姿を見つけた。 この絵は中村麻美画伯が描いたものです。

喜平次(景勝)と与六(直江兼続)の修行

大方丈は部屋の造りで、柱が天井までなく白い壁で天井が浮き出るような造りです。 書院造り最高の造りであり、越後ではここだけの建築です。 さらに部屋を移動すると書院の造りが異なり、畳の敷き方も異なる。
喜平次(景勝)と与六(直江兼続)の修行すがたの絵は大勢の人で混雑し、記念撮影している。 余程気に入ったのだと思う。

大方丈(最高の書院造り)

畳の敷き方が異なる

再度撮影
大方丈の説明

床の間

書院を出て宝物館へ

この先、宝物殿へ…、庵内拝観入口を見ると続々と観光客が…。
袈裟かけは1300年前のもので、北高禅師の「火車落としの袈裟」です。 さらに唐の時代の襖絵や武将の書状など多くの展示物があり、集中して拝見できた。

江戸時代…上杉家の梨地膳椀

乗馬時の鞍(くら)と鐙(あぶみ)

寝姿の仏様に多くの人々が集まっている画
八体の仏像

袈裟かけ…1300年前のもの(左)

中国の唐の時代の襖絵

武田信玄の書状



謙信の参謀…宇佐美定行公の鎧びつ

武田勝頼の書状

楠木正成の遺言状

宝物館から境内を…

宝物館から見た本堂前の境内の景観、やっぱり春日山林泉寺によく似てる。 帰りは往路と別の道があり、別の角度から境内の景観が見れる。

春日山林泉寺によく似てる

樹の枝の伸び方が珍しい
帰路のコース

赤門

駐車場に戻ると、駐車待ちの車が数珠つなぎで、道路に出ると田圃道に路上駐車がいっぱい止まっていた。 次は坂戸城址を目指す。 客殿から見た坂戸城址の赤い社の富士権現が印象に残っている。 駐車場で缶コーヒーを飲んで休憩して出発!

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