■ 越後 六日町 直江兼続伝世館 ■

銭淵公園にある直江兼続伝世館を見学。 その後、銭淵公園の散策、ここは坂戸城の外堀の役目を果たしていた魚野川が、坂戸山裾で大きく蛇行したところが銭淵でした。 上杉謙信の軍師、宇佐美定行の名で知られる、宇佐美定満と長尾政景が溺死したのはここだったという説もある。 政景の亡き後、供養のために集まった人々がこの淵に六道銭を捧げたと伝えられており、そのことが「銭淵」の名前の由来となっている。


坂戸城址の後、公衆浴場中央温泉で汗を流した。 公衆浴場中央温泉は100%源泉かけ流し、蛇口からも温泉、しかも飲料可。 妻は大喜び、湯船は小さいが汗まみれの身体をシャンプーできた。 料金は200円、明日は父の日で無料! 帰りにもう一度寄りま〜す。


坂戸山城跡の麓、緑と水に囲まれた銭渕公園の中にある直江兼続伝世館に到着。 直江兼続伝世館は南魚沼市内にあった現存の古民家を移築した。 そして兼続の生家をイメージしたということで、大きな建物ではなく、展示物も少なかった。 入口を入るとすぐ上田軍団のレプリカの甲冑と本物の甲冑が展示してある。

直江兼続伝世館 銭淵公園の案内図

上田軍団のレプリカの甲冑が展示
南魚沼市内に現存の古民家を移築

こちらは本物

入館料は雲洞庵の料金と同じ300円。 和尚から薫陶を受ける景勝、兼続は、ここではミニチュア模型です。 その他にこの地の豪雪地帯で生きる為の生活必需品も展示してある。 1/3が郷土資料館のようです。

和尚から薫陶を受ける景勝、兼続

川中島合戦の屏風(複製)
豪雪地帯で生きる為の生活必需品

直江兼続公の太刀(複製)

直江兼続公の使用したものがガラスケースに展示されている。 「直江状」の写しや直江兼続所望の品などが展示されていたが撮影禁止。 展示物が少なく不満でしたが、受付の方々の対応が良く、六日町のお話をしてもらい、妻が喜べば旅は万事うまくいく。

直江兼続公使用

直江兼続公肖像画

囲炉裏部屋
直江兼続公使用

上杉景勝公の和歌の短冊掛軸

越後縮の着物

あまり見るべきものはなかったが直江兼続の直江状の写しがあった。 直筆ではないが、素直に見る事ができた。 最後は銭淵公園の散策に行く。 銭淵公園は上杉景勝、直江兼続主従が幼少を過ごした坂戸城が築かれていた坂戸山の麓にある。 公園内は橋や池、休憩所などがあり、日本庭園風に整備されていた。

銭淵公園石碑




途中、家族連れとすれ違い、妻が子供達に声かけした。 地元の人で、駐車場では5〜10月の日曜日は、朝6時から8時に、六日町温泉朝市を開催していると云う。 私達はその頃、樺沢城址、龍澤寺、雲洞庵にいた事を話した。\(*^o^*)/



ユリ科シャグマユリ属のトリトマ


中央に池を配した園内には起伏をつけた遊歩道、芝生広場などがあり、親子連れの散歩姿を見かける。 鴨がス〜イスィ、鯉も泳ぐ池。 穏やかな時間が流れ、子供達が喜んで餌を与えていた。










池と池をつないでいる小川もやすらぎのある景観です。 このような子供達の姿を自分の孫を見るような気持ちで見ていた。 夜間には蛍も飛び交う小川と云う。 そしてデジカメのシャッタースピードを1/8秒で噴水の水を糸のように仕上げた。










広々とした公園でマイナスイオンいっぱいです。 あれだけ晴れていたのに16時を過ぎると天候が曇りがちになり天候が心配になってきた。 予報では下り坂となっていたがどうなる事やら…。



長尾政景公生涯の地






散策していて気がかりな家屋があり、立ち寄ると東屋で開いていなかった。 それでも公園に相応しい佇まいの家屋です。 16時半を過ぎて駐車場に戻る。 今回の旅も宿は決めず現地で空きを探す。

東屋

東屋


汗を流して温泉に入り、兼続伝世館を見学し、公園の散策をして、駅前に今夜の宿泊先を探しに向かった。 …安い民宿を探して素泊まりで泊まれた。 この後、街中を散歩して夕食をとり、公衆浴場中央温泉へ、翌日は早朝出発で浦佐駅のそばにある浦佐毘沙門堂に向かう。

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