■ 越後 六日町 坂戸城址 ■ |
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左端のコースを選択 右手に鳥坂神社の鳥居 |
「愛」の文字の車両制限 鳥坂神社 |
このあたりはルンルン気分で…撮影を楽しみながら…。 今回は坂戸城址の頂上で昼食の予定、昨夜出発前に妻が作ったお弁当はリュックの中…、頂上で食べる御握りの美味しさを目指して! 途中で降りてくる人とすれ違う、聞いたら途中で引き返してきたと…。 |
家臣屋敷跡の石碑 坂戸城址の史跡碑 |
もう降りてくる人がいる 門があった跡の石が… |
豊臣秀吉によって、1598年(慶長3年)、上杉景勝は会津に転封となり、越前国から堀秀治が越後に入ると、坂戸城には豊臣秀治の家臣堀直寄が入り、坂戸城を山麓の居館部を中心に近世城郭へと改修している。 現在残っている山麓の居館部は、堀秀治が近世城郭へと改修した名残りです。 石垣の集積地には「この石垣は江戸時代末期に運び出されたものを回収したもので、将来、坂戸城址の石垣を修復する時に使います。」と看板の案内文があった。 |
御館の石垣 石垣の集積地 |
その先に家臣屋敷跡の石碑 上杉景勝、直江兼続の生誕の石碑 |
ひたすら自然を求めて歩く。
このあたりは大河ドラマのロケ地付近だ!
道路が砂利道に変わった。
この辺一帯から先がロケ地の撮影場所です。
馬上に騎乗した兼続がこんな形で撮影してたなんて、天地人博で見てみなければわからなかった。 |
砂利道に… 日陰の道は終わり、本格的なハイキングに… |
この辺一帯からロケ地の撮影場所 坂戸観音菩薩 |
早朝に登城した人達が下りて逢うたびに、妻はあとどのくらいですか?の連発! 早朝から歩いているから妻が相当疲れてきた感じ。 一本松のある、ハイキング道の分岐点、ここで休憩、ここまでは元気だった。 日中の気温がグングン上昇しているのが実感です。 あと1時間位から、まだ半分も来てませんよ、と云う人まで千差万別で、人間の感覚は人によってだいぶ違う事を思い知らされた。 そして撮影枚数が激減した。 体力が急に落ちていくのが判り、下りようかと何度思ったことか…。 |
一本松のあるハイキング道の分岐点 気温がグングン上昇… |
ここで休憩、ここまでは元気だった 街並みが… |
暑さと年齢と、前夜からの睡眠不足と、二度目の登城(樺沢城址のあと)という事で…。 暑い!疲れが一気に噴き出し、途中の撮影は無し…、少し登っては休憩の連続、下山しようかな…、休みながらでも少しずつ登ればきっと行ける! 妻に声かけし桃之木平まで来て、あぁ〜もう少しだなと、ホッと一息。 |
山城の水場跡 ここで休憩 |
桃之木平 雲洞庵から見た富士権現社が… |
600m程の山城ですが、登り着く事ができた。 美味しい水を飲んで暫く椅子で休憩してたら先着の人が、出発するからこの日陰で休めばと場所を空けてくれた。 そして昼食、美味し〜い!お握りと唐揚げの触感が身にしみる。 諦めないでよかった〜! 妻と顔を合わせて笑顔いっぱい! |
日陰の場に… 小出市方面 薬師尾根、寺ヶ鼻コースの登山道 |
坂戸城址と登山案内図 ここを登って来たんだ〜 南魚沼市の市街が… |
しばらく休憩の後、妻と二人でいつもの撮影! それぞれが思いのままで撮影を楽しんだ。 そして富士権現社に参拝しよう。 坂戸城は越後府中(現在の上越市直江津地区)と関東平野を結ぶ陸上交通の抑えとして、また魚野川を利用した河川交通の要所として、 さらに魚沼の穀倉地帯を擁する経済上の要地として、重要な役割を担った。 富士権現社の中は休憩可能で、坂戸山634mの案内がある。 |
富士権現社に参拝… 富士権現社の中は休憩できる 南魚沼市の市街 |
富士権現社 南魚沼市の市街 お世話になりました、さぁ出発! |
帰路、妻は出会う人々と挨拶など、言葉をキャッボールして楽しんでいる。 人間って面白い! さっきまでフーフー、ハ―ハー言っていたのに、こんなに口が軽くなり、登ってきた人たちに声を掛けられるようになった。 帰路は同じ道を戻る、周遊しようと思ったが、残りの水が少なく、知った道を選択した。 |
ルンルン気分で下山してま〜す 辛抱して山に登った楽しみが… |
途中の景観を撮影しながら… 景色を見る余裕に… |
さぁ!事故の無いよう、油断しないで下山しましょう。 すたこらサッサ! 行きと大違いで下山する。 (昼食を満腹しなくて良かった!) 行きは4時間、帰りは30分の感覚で見事往復をした。 しかし映像の撮影時間で確認すると、往路は2時間半、復路は1時間弱、人間の感覚は当てに成らない! |
登城時、休憩した所を通過… |
変化に富んだ登城道 |
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