■ 越後 浦佐毘沙門堂 ■ |
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商店街の路地から毘沙門堂へ | 川筋を挟んで山門が… |
川筋は交差して中央の地に「毘」の花文字が印象的です。 石畳から見上げると、扁額に吉祥山の山号がある仁王門が立派です。 仁王門は1831年(天保2年)、地元の関市四郎氏(酒造業や物流)の寄進で、棟梁は六日町の宮大工内藤藤蔵です。 内藤家は越前から坂戸城主として移封された堀直寄に従い魚沼に移り、坂戸城の建築に従事した宮大工です。 さらに日光にも行き陽明門を手本に総けやき、豪雪にも、耐震にも耐える建築をした。 |
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楼門の説明板 |
普光寺本堂 |
仁王門をくぐると右手に大きな神木と鐘楼があり、古山門まで続く、廊下といわれる石畳が続き、真言宗豊山派総本山長谷寺を思い出した。 |
神木と鐘楼 宝物殿 |
廊下と石畳 毘沙門堂 |
宝物殿には中央に主大日如来像が安置され、その四隅に東西南北の方角を護持する四天王像が配置されている。
仏教の守護神である持国天、増長天、広目天、多聞天から成り、立体曼荼羅を形成する。
その中で多聞天は毘沙門天とも云う。 |
宝物殿 不動明王 |
古山門 毘沙門堂 |
雨足が強いが廊下のおかげで撮影するのに助かった。 仁王門から廊下と石畳が古山門まで続く、古山門は一番古い建造物で聖徳太子の扁額があり、家康の十六男、松平忠輝の寄進で大黒天と愛染明王が祀られている。 |
浦佐毘沙門堂 仁王門から廊下で一直線の所にある古山門 |
境内 仁王門と廊下 |
仁王門から廊下の石畳、毘沙門堂、宝物殿、普光寺とすべて廊下でつながり、境内の各方向を撮影し仁王門まで戻った。 |
毘沙門堂 普光寺の石碑 寺宝館(左)と普光寺本堂 |
宝印塔 普光寺本堂 毘沙門堂 |
浦佐毘沙門堂を出ると浦佐城址の案内があった。 本来ならば行ってみるところですが、この雨では無理で今回はパスした。 この案内で判断すると浦佐城址の町造りがよくわかる。 浦佐城址の大手口には普光寺、大悲山千手院、そして川筋が濠の役割をしている。 |
大悲山千手院の入口 |
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8時過ぎ 大悲山千手院 |
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