◆天守◆ 当初、藤堂高虎による複合式望楼型の三重天守が上がっていたが、寛文2年(1662年)から寛文11年(1671年)に伊達宗利によって行われた改修の際に修築の名目で現在の独立式層塔型3重3階に建て替えられたという。     …フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊達家の時代の石垣上に建築された装飾性の高い破風や懸魚などから太平の世を象徴しています。
本丸に入り、40m程進むとご覧のように天守が見えてきます。


近づくと樹木が邪魔をするのでこのあたりで望遠を使うと良いでしょう。

天守を一回りしました。小さいながらも格式を重んじた御殿建築となっています。
太陽も上がり、逆光も少なく撮影できます。




1860年、1960年と100年ごとに大修理を受けています。





木造建築とは思えない優美な姿を鑑賞できて良かったです。
天守の真正面からも良い撮影ができました。




午後の非常に暑い時間帯で、見学者は多くはありません。それでも人波は途切れる事がなく続きます。
天守の骨格の模型が一階中央に展示されています。




一階の廊下は幅が広く天井も高いです。





二階へは二つに分かれた階段で、天井の高さを知ることができます。



二階の景観です。展示物はなく、全体の広さを実感できます。

二階の廊下の広さは一階に比較して半分ほどです。廊下には名城の写真が展示されていました。
三階への登り口は急な階段です。




三階には白蟻による建造物の被害の部分や当時の看板などが展示されていました。





飾りっけのない部屋ですが、当時の様子が実感できます。





三階の武者窓からは宇和島市内が一望でき、天気がいいので景観が素晴らしいものでした。





城郭の草木が長い年月の成長で、鬱蒼と生い茂り、苔むした石垣群とマッチしていました。





城づくりの名人、藤堂高虎によって400年ほど前に築城された宇和島城は均整の取れた美しい姿から別名、鶴島城とも言われ、宇和島市民のシンボルとなって、市内中央に鎮座してます。宇和島では旅情きらめく四国の終着駅と書かれたパンフレットがあり、歴史、海の自然、山の自然、文化、特産品と見るべき所が山とあり、一日いても回りきれないものを感じました。
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