■ 本丸天守と西の丸三重櫓 黒門へ ■

通し柱を用いず、各階ごとに積み上げた天守は三層三階地下一階の複合式望楼型で牛蒡積みの石垣で支え、 上の窓は華頭窓で最上階には外廻り縁と高欄を付けている。 各重に千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風を詰め込み配置し変化に富む表情を見せてくれる。 大津城天守(四重五階)を三重に縮小して移築したと伝わる。 天守の撮影は観光客が少なくなるまで時間を要した。


本丸と繋がる多聞櫓が入口になり本丸は三層三階で規模的には大きくない。 早い時間帯に多聞櫓から本丸内部に入る。 多聞櫓には当時の瓦や窓枠などが展示されていた。 多聞櫓の天井の梁の骨組みは、他にいろいろ城郭を見てきたが珍しい組み方です。 さらに二階より上の華頭窓も展示。

多聞櫓(天守入口)



本丸入口

屋根の骨組み

本丸1階
天守

琵琶湖と長浜方向の眺望

天守瓦

破風窓

規模的に二階は廊下が狭い、城内は観光客で数珠繋ぎで途切れるまで待ち、やっと最上階に到着! 天井には天守の守り木札が飾ってある。 天守閣というと絢爛豪華のイメージがあるが、ここ彦根城は質素、堅牢な造りになっていた。 各階に鉄砲狭間、矢狭間があり、未使用時は木枠で閉じてある。 そして千鳥破風の屋根裏を利用し隠狭間がある。





天守の守り木札

狭間



天守最上階



隠狭間


途中で入場制限があり入城者がいない。 先程まで並んでいた人並みがなくなり、お城から出る人だけになった。 私達が出口に戻った後、入場制限が解かれ一斉に人々が押し寄せてきた。 出口扉には鉄板を打ち付け、太い木枠と合せて頑丈そう。






附櫓(国重文)






徳川の四天王、井伊氏の拠点として置かれた彦根城は金亀城(こんきじょう)ともいう。 多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏十四代の居城です。 その歴史とロマンを感じさせてくれる古城は小高い丘に白亜の天守が聳え、二重の濠に囲まれた美しいお城でした。

城内散策を再開、明治初期の廃城令に伴う破却を免れ国宝の天守、附櫓および多聞櫓のほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など五棟が現存し、国の重要文化財に指定。 中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少であり、国の特別史跡に指定されている。

着見台は二重の櫓があり、着見と月見の二つの意味で着見台といわれ、城内へ到着する馬や人・湖上交通等の監視と佐和山に出る月を見る観月会が開かれたそうです。 天気に恵まれのんびりと天守と周辺を散策しながら撮影を楽しんだ。 観光客が切れ目なく続き撮影するのに時間を要した。



着見台から見る天守

着見台跡

太鼓櫓の上部


本丸から西の丸への出入口の石垣から西の丸三重櫓と続櫓へは広い西の丸内を見学。 西の丸には当時、色々な建物があったと思った。 西側から天守を見上げると天守が大きく見える。 重要文化財の西の丸三重櫓と続櫓も城郭として威厳がある。 内部が公開され見学したが梁の太さには感嘆する。





西の丸三重櫓の内部


西の丸三重櫓と続櫓

観音台への道
黒門へ向かうため本丸そばに戻ったが、ここから天守は多門櫓と続き更に美しく見える。 本丸と西の丸の間に黒門へ曲がりくねった石段が続き、鬱蒼と繁った木々の間を通る。













黒門出口に到着。現在10時半頃です。城郭内を散策して、絵図面で見るお城の案内図より広く感じた。 当時の石垣から、ここに櫓があり立派な門構えだったのではないかとロマンを感じる。


黒門櫓跡の石垣
黒門跡

黒門を出るとお濠端
城内を半周して内濠に出た。 この後の計画は屋形船でお城を巡り、 そして玄宮園の散策と続く。
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