■ 埋木舎と佐和口多聞櫓、馬屋 琵琶湖畔へ ■

彦根城の建築物には、大津城からの天守を始め、天秤櫓は長浜城から移築し、 佐和山城から佐和口多門櫓(非現存)と太鼓櫓門、 小谷城から西ノ丸三重櫓、観音寺城や何処のものか不明とされているが太鼓門などの移築伝承が多くある。 建物や石材の移築転用はコスト削減と工期短縮のために行われたもので、 名古屋城や岡山城や姫路城、福岡城など多くの城に同様の伝承が伝わっている。


佐和口多聞櫓の処には開国記念館がオープン。 井伊直弼の没後100年を記念する事業として彦根市民の浄財により、 彦根城の佐和口多聞櫓(イロハ松から見て右側が再現したもので、左側は国重要文化財)を再現。 ひこにゃんは国宝彦根城の築城400年を記念したキャラクター! 開国記念館から重要文化財の馬屋を見ます。 この後、直弼が青春時代を過ごした屋敷の埋木舎に向かう。

井伊直弼の銅像





馬屋(国重文)
…NHK「花の生涯」の記念碑





埋木舎

埋木舎(うもれぎのや)は幕末に幕府の大老を務めた井伊直弼が藩主となるまでこの城下で過ごした。 直弼が青春時代を過ごした屋敷は埋木舎として現存。 「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と直弼は和歌を詠み、 自ら「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励んだ。 入口に管理人が居ないのでそのまま入った。 井戸の先に玄関があり内部を見学、撮影。 質素な感じの屋敷と庭です。










ここでウロウロしていたら管理人が屋敷の中で観光客を案内説明していた。 管理人からここで入場料金を請求された。 屋敷内部の案内は今の仕事が終わってからと云われ、ずいぶん待たされた。 管理人の態度は見せてやると云う態度があり、他の待たされる人が不快感を…。 そこへ酔っぱらいの観光客が来て管理人とひと悶着あり、不愉快さが更に増した。

表座敷

茶室





奥座敷と居間



茶室

一緒に説明を受けた人の中に、青森から来た歴史と美術の教師に出会った。 引退した人、現役の人それぞれ楽しみのために二人で彦根城に来たという。 私も歴史が好きで、先輩方と楽しい旅の仕方など語らいが進んだ。 管理人の話もそこそこ聞き流し、四人で大いに旅の楽しみを語らい良い思い出ができた。

居間

居間


彦根城歴訪のコースも終盤、駐車場へ戻る。 駐車場の傍の二の丸佐和口多聞櫓と馬屋が最終の見学です。 馬屋は元禄時代に建てられ、昭和43年に解体修理されたこけら葺きの屋根が美しく城内に残る馬屋は彦根城だけです。

二の丸佐和口多聞櫓

馬屋
馬屋の正面玄関

佐和口多聞櫓の内部を見学します。 いろは松から彦根城を訪れる時、最初に出逢う櫓で、佐和口多聞櫓の左側が明和8年(1771年)に再建されたもので、国重要文化財に指定。 櫓内の外側には矢狭間と鉄砲狭間が交互に造られている。 また内部の壁が波を打っているのが確認できた。膨らんでいる所は横木がある。 佐和口多聞櫓の二階の入口の部分は入れないが撮影だけ。

佐和口多聞櫓の内部





櫓から佐和口が見下ろせる

2階は入室禁止
櫓内からいろは松と濠





佐和口多聞櫓の対となる佐和口多聞櫓

国宝彦根城の歴訪も終わって、お世話になった駐車場のおじさんのお店でお土産を買って大休憩をしてから琵琶湖へ出発します。 琵琶湖大橋を渡ってパーキングエリアで一休み!そしてお土産の品定め… あっという間に日が暮れました。

妻が撮影



琵琶湖大橋




今日は大津市側の琵琶湖畔の琵琶レイクオーツカに宿泊。 白砂青松の湖畔にあり、眼前で水上スポーツが賑やかでした。 ただ曇天で遠方が見渡せないのが残念でした。 明日は比叡山延暦寺の歴訪に向かう。

inserted by FC2 system