■ 新発田藩足軽長屋、石黒家住宅、郷土資料館の歴訪 ■

新発田藩足軽長屋は、江戸時代にはこの付近に4棟あったが、現存するのは1棟のみ。 茅葺の8世帯向け棟割長屋です。 建造年代は不明だが、棟札には1842年(天保13年)の文字が残されている。 1969年(昭和44年)に解体修理が行われた。 足軽長屋は下級武士の住宅で、桁行き24間、梁間3.5間を8戸に区切ってある。 …と言ってもピンとこないと思うので、現代風に表現すると2DKの集合住宅です。


当時の下級武士の生活が偲ばれる遺構として国重文に指定されている。 本来はここで清水園の入場券を提示すると中へ入れるが今は誰もいない。 建物は寄棟、茅葺で、中に入って見ると6畳間が2部屋と玄関、台所と簡素な間取りです。

小川の右側に清水園



足軽長屋の入口

長屋の正面玄関

一ヶ所だけ中に入れる

床の間など中級武家屋敷で見れるような接客的空間(客間)が無かった。 私が結婚した頃の2DKと同じだ。 囲炉裏のある部屋は座敷でなく板の間です。ここで調理したものを温めながら食事をしたかも? でもここが一番暖かい部屋になりそう! 茅葺の屋根が歴史を感じさせてくれる。 小さいながらも細かく見て回り、丁度一回りして今日の見学は終了。


中に入ると6畳間

囲炉裏の部屋は板張り




…隣も6畳間

台所、炊事場



■石黒家住宅
案内板には、この建物は、以前、新発田城三ノ丸を取り囲む帯状の町、旧八軒町にあり、 1856年(安政3年)の新発田武鑑によると、石黒門三郎70石の家臣の居宅であった。 同家は新発田藩重臣を記した世臣請に記載され由緒正しい家柄と云う。
(財)北方文化博物館が移築復元したものです。 江戸後期の標準的な武家の居宅として、当時の生活が良く判る建物でした。 石黒家住宅は清水園構内、駐車場脇にあり、この地域の建築家屋で無料で見学できる。 清水園正門前は10台ぐらいの駐車スペース(無料)がある。 石黒家住宅の大きさは約20坪位で、建物は寄棟、銅板葺き、正面中央に玄関がある。 奥座敷と日常生活の部分に仕切られ、当時の武士の生活を垣間見る事のできる建物です。

清水園正門

正面玄関

奥座敷から各部屋の一部の景観

雪に埋もれた庭
石黒家住宅

奥座敷(客間)

囲炉裏のある部屋、現代でいうとリビング?

炊事場近くの庭には井戸跡

清水園を出て、郷土資料館に向かう。 清水園の郷土資料館は元々、新発田郊外の五十公野にあった民家の酒蔵を、明治中期に移築した。 米蔵として使用していたが、現在は新発田藩関係の資料、越後阿賀北の考古、民俗などの郷土資料が展示されている。 この地方で収集された大切なものが展示され、物を大切にする事は、その地域の歴史を見れる。










二階にも資料が展示され、階段を上がると比較的重量の少ないものが展示されている。 貝あわせの遊戯に使われたものは一つ一つの絵柄が大変綺麗です。 昔のスゴロクや当時使用された押印も展示してある。

ここでは掛け軸が

この地域の小物が展示

昔のスゴロク遊具

縄文土器


貝あわせの遊戯

昔の印…一つ一つ手造りで

弥生土器

休憩処に足軽長屋の模型が展示してある。 清水園で昔使われていた井戸があり、全体が江戸時代の風情を感じる!









今日は夜明け前に瓢湖からスタートし新発田城、宝光寺、清水園、足軽長屋と上越地方の冬の景観と歴訪した。 身体は十分に冷え切って?凍えそうなくらい。(笑) この後は年寄りには楽しみな日帰り温泉に入り、今夜のお宿探し…民宿で一杯が楽しみです。
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