■ 日本100名城 新発田城と藩主菩提寺宝光寺の歴訪 ■

新発田城は日本100名城のひとつで公園内には石碑が数多くある。 新潟県新発田市にあり、別名、菖蒲城ともいう。 新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が現存する城跡です。 近くの新発田川の流れを利用した平城で、石垣には石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる工法である切り込みハギが用いられている。


瓢湖から20分ほどで新発田市の中心部に到着。 城址は公園に整備され公園駐車場に入った。 雨も本格的に降り出して、今日は一日中雨天のようです。 デジカメが濡れないようタオルも用意して歴訪する。

公園駐車場…8時半





城址公園は二の丸跡地です


公園を横断して城址の濠端に向かう。 濠は本丸の内濠で結構幅がある。 三重櫓の三階屋根の棟はT字型に造られ、棟上には三匹の鯱が載せられていて大変珍しい。 元々天守はなく本丸の北西隅に三重櫓をつくり、その三重櫓を新発田城における実質的な天守としていた。

三重櫓

内濠に沿って表門方向へ…

棟上には三匹の鯱が…




二の丸隅櫓が江戸時代当時の建造物で、本丸表門と共に国重文です。 1581年、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こし、1587年、上杉景勝により新発田城は落城、新発田氏は滅亡した。 隙間が少ない切り込みハギの石垣と二の丸隅櫓の姿が美しく、朝の散歩をしていた地元の方が自慢をしていたのが印象に残った。

二の丸隅櫓

土門橋を形成する土盛りの部分






本丸と二の丸を繋ぐ土門橋前は表門と合せて枡形門に等しい防御機能を持っていた。 反対側には石垣があり、傍には民家が迫っている。 土門橋を形成する土盛りの部分から二の丸隅櫓と表門を撮影。

二の丸隅櫓

二の丸隅櫓
赤点が現在地

土門橋跡から表門を撮影

二の丸、表門前の小公園には初代藩主、溝口秀勝の曾孫にあたるといわれる堀部安兵衛の銅像がある。 表門は冬の時期は閉門しており本丸内に入る事はできない。 本丸の主要部は明治時代から現在に至るまで、陸軍、自衛隊の駐屯地です。 本丸内部の見学は自衛隊駐屯地へ申込が必要?

堀部安兵衛の銅像



辰巳櫓
表門正面

復元された辰巳櫓

城址公園(二の丸跡)
桜の季節になると城址公園は人々でおおいに賑わうと地元の人から聞いた。 私は雪に包まれた新発田城を期待したのに…
堀部安兵衛の銅像の傍に史跡案内の看板があり、これで見ると清水園、寺町の施設は近い距離にある。
寺町を代表して藩主の菩提寺の宝光寺を選び、国重文の清水園、八軒長屋(足軽長屋)へ向かう。

雨は小降りだが一日中続きそう。


寺町、宝光寺は新発田藩藩主溝口家の歴代の菩提寺で、創建は溝口家が加賀の領主だった頃、仏国寺の住職雷堂和尚が開山したと伝えられている。 当初は大麟寺と称し、溝口家が新発田移封と同時に現在地に移り、浄見寺と改称し、さらに宝光寺となった。 総門も立派だが、その先に山門があり立派な門構えです。 総門をくぐると左手に経堂がある。 敷地内には推定樹齢350年の徳川家光公から寄進された枝垂桜がある。 山門は1845年(弘化2年)に建立され市重文で扁額も素晴らしい!

総門

経堂

山門
山門

枝垂桜

山門の扁額

本堂前に庭園があり、それを囲む形で回廊がある。 廻廊は床でなく地面で通路の形の廻廊で途中に鐘楼が付随している。 雪国特有の参拝路だ。

鐘楼




山門を内側から撮影、三間三戸、入母屋、瓦葺き、二層目に高欄を廻す二重門で、花頭窓が見られるなど禅宗様式の建築物です。 本堂と山門をぐるりと囲んで造られている瓦葺の通路が歴史を感じさせてくれる。





本堂




経堂
宝光寺は曹洞宗の寺院で、寺町と呼ばれるこの一帯には多くの家臣のお寺がある。 まだ早い時間帯の為か付近には人影がなく、車は通るが人は見かけない。この後、清水園を目指す。
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