■ 宮島町並み散策と大願寺、大聖院と滝小路 ■ 厳島神社の裏手を流れる御手洗川によって運び出された土砂や浜辺に堆積した砂を築固め、 江戸時代以降、徐々に延びたのが、西の松原と呼ばれる突堤で、この先に清盛神社がある。 清盛神社に参拝している歴女がいたので、終わるまで待ちました。 最近はメディアで若い女性が歴史認識に強い興味を持っていると報じている。 |
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西の松原からの大鳥居 | |
御手洗川 清盛神社 |
此処からは古い町並みの散策になる。 宮島水族館は工事中で此処からUターンし大願寺方向に戻る。 古い町並みには宮島歴史民族資料館(入館料300円)や宮島杓子の工房などがあり、 工房で杓子を購入しようと店内に声を掛けたが、何度呼びかけてもお店の人は出てこない。…残念! |
古い町並み | | |
宮島歴史民族資料館 |
■大願寺…平清盛の造営した厳島神社は寝殿造りの美しさと、先人の知恵が込められている。
その厳島神社も、室町時代中期から戦国時代にかけての時期は全国の神社同様に凋落した。
その際、強力な後ろ盾になったのが大願時です。
明治時代の廃仏毀釈まで厳島神社の修理を担った古寺です。
厳島神社の衰退時、当時の大願寺の聖人は全国行脚で寄付を募り、縮小や没落を余儀なくされた多くの神社とは異なり、
厳島神社は現在も創建時の規模を保つことができた。と書かれてありました。
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厳島神社の宝物館 大願寺の山門 |
厳島神社と大願寺の間の御手洗川 境内中央に池庭 |
■大願寺…亀居山方光院大願寺で真言宗の古刹。
明治の神仏分離令までは厳島神社の普請奉行として寺院の修理、造営を一手に担い、千畳閣、五重塔、多宝塔などの厳島伽藍の中心でした。
神仏分離令によって厳島神社からは厳島弁財天を、宮島最古の木造薬師如来像、千畳閣の本尊の木造釈迦如来坐像、
その両脇の阿難尊者像、迦葉尊者像、五重塔本尊の三尊像、多宝塔本尊の薬師如来像、
護摩堂本尊の如意輪観世音菩薩など多くの国重要文化財を収蔵している。
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大道芸のお猿さん 大願寺の本堂 |
大願寺本堂 護摩堂 |
■廃仏毀釈…仏教寺院、仏像、経巻を破毀し、僧尼や寺院が受けていた特権を廃止し、仏教施設の破壊などを指す。 神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったが、 結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)と呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまった。 …これにより多くの文化財が消失した事は非常に残念に思う。 |
首相伊藤博文が訪問時に植樹の九本松 | 池庭に厳島、龍神 |
という訳で、後半は大願寺に訪問し歴史を学ぶ。
時間は午後4時。この後の予定は厳島神社の宝物館横の脇道を通り大聖院へ向かう。
古い町並みを散策しながら、途中、多宝塔にも寄りたいと思う。
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歴史を体感 |
欄干の橋から大聖院仁王門 |
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仁王門 御成門 観音堂(十一面観世音菩薩) |
| 右に観音堂 勅願堂 |
勅願堂は大聖院の本堂で鳥羽天皇勅願道場です。本尊の波切不動明王が祀られている。
観音堂の全景を撮影し勅願堂の横に大師堂への石段がある。
大師堂へ登る石段の途中、左手に八角万福堂、右手に阿弥陀堂があった。
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観音堂 八角万福堂 大師堂 |
| 阿弥陀堂 大師堂から見晴らしが良い |
大師堂から左上方に摩尼殿を見れる。大師堂で参拝してから地下の遍照窟へ向かった。
遍照窟は四国八十八ヶ所霊場の本尊が安置され、それぞれの本尊前に各霊場のお砂が埋めてあり、四国を遍路したのと同じ功徳がある。 |
摩尼殿 |
大師堂の地下にある遍照窟の入口 |
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八十八ヶ所を一歩一歩 |
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摩尼殿に到着、包丁塚もある。
摩尼殿は弥山三鬼大権現の本坊御祈祷所。摩尼とは福寿とも訳し、幸せをもたらす事で多くの参拝者が訪れる。
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摩尼殿 釈迦涅槃像と十六羅漢(奥) 摩尼殿 |
包丁塚 | 休憩処の通話できるクラシックな電話機 |
…大聖院では多くの堂宇を見学できた。これら多くの堂宇が火災で焼失した事は残念です。
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滝小路 上卿屋敷(林家住宅) 滝小路の終わりは御手洗川 |
厳島合戦の史跡 | 此処から厳島神社の本社本宮から大鳥居まで |
この後は再び、厳島神社へ戻り、夕方の景観を撮影、散策する。 現在午後5時です。夕陽が迫る時間で、帰りのフェリーの時間も気になるが… | ||