◆館山城城山公園◆ 上総国を支配した里見氏の居城館山城址にドライブしてきました。此処の城址は模造天守ですが、ここに里見八遺臣のお墓があると知り訪れてみました。高台から見る館山湾の景観も撮影したくて白浜から上総国を縦断(大袈裟かな)して館山市内に到着!

午前9時に城址公園駐車場に到着!出かける準備をしていると、大型バイクのツーリングのグループが大きな爆音で到着、その数10台以上。一般車両エリアの7台分くらいのスペースを占めました。事務所の管理人が慌てて飛んできてバイクエリアに誘導していました。
駐車場エリアから見上げると模造天守が綺麗です。


ズームするとかっこいい!

案内を見ると里見八遺臣のお墓の方から回ると館山城址全体を回れそう。
という訳で緩い上り坂を上がって行きます。




公園内の木々の新緑が際立って目に優しく映ります。





城址の小高い丘陵が市内中央に入りこんでいるので、少しづつ景観が開けてきました。



この先の高台に入口の標識がありました。

里見八遺臣のお墓には山側の尾根を登り切った後、今度は下って行きます。



どんどん尾根を降りて行きます。

館山城址は思った以上の山城で広いエリアに渡ってありました。緑が目に眩しい季節感を感じます。
眺望が一部開けて本丸の方向が見えました。


あたりが薄暗くなって不気味な感じもします。

お墓には新しい塔婆がありました。全景を撮影するために上方から撮影しました。
城址の奥まった処に藩主と一緒にあります。



里見氏…
元々は群馬県の高崎市の里見郷に新田姓から分流した家系で数々の争乱の中、史実では不明の所も多くあるが、里見氏が白浜から起ち、房総を支配下に治め、安房の館山に城を構えたのは事実です。

里見義実の安房入国伝説を基にして、江戸時代に曲亭馬琴によって書かれたのが、「南総里見八犬伝」であるという。


   里見八遺臣…
   史実の里見家最後の当主であった館山藩主里見忠義は、江戸幕府によって山陰地方の倉吉藩に事実上配流され
   その地で没した。このとき忠義に殉死した8人の家臣があり、戒名に共通して「賢」の字が入ることから八賢士と称さ
   れる。江戸時代に残された館山の里見氏により、倉吉市の大岳院のお墓から分骨してこの地に埋葬されたそうです。

本丸方向に戻る途中に、日本庭園の茶室エリアがあります。中を立ち寄って見ます。





庭園の中には小さな細い小川のように水が流れています。





新緑と合わせて風流が楽しめるような景観です。





茶室には一回りしましたが中に入る事が出来ませんでした。



裏門もありここが出口です。

日本庭園から本丸方向に向かいます。所どころに花が咲き乱れていて気持ち良く散策出来ます。



ここは模造天守の丁度裏側に出たようです。

館山湾が一望できるスポットに到着しました。いきなり目の前が開けたという感じです。



眺望スポットからお城を撮影して見ました。…逆光です。

お城の正面エリアに回ると広い広場があり、ここからは館山湾全体を見る事が出来ます。





浅間神社の処から模造天守を撮影するとこんな感じです。模造とはいえ立派に景観に溶け込んでいました。
浅間神社




里見氏の発祥の地の高崎市、配流された鳥取の倉吉市、館山市の有志者によって「里見桜」が植樹された。
湾の後背の山側の景観


里見桜

一帯の公園を撮影しながら、もう一度真正面から天守を撮影しました。コンクリート製の天守は館山市の博物館別館になっていて、展望台まで行けますがここではパスしました。
里見城跡の石碑と千人力の像


付け櫓が天守を引き立てています。

広い本丸から細い階段を折れ曲がって降りてくると、広い道に出てきて、多くのジョギングの人やお年寄りの散歩道に出ました。





里見八遺臣、八人の戒名にそれぞれ「賢」が入っていて里見八賢士とも云われ、里見八賢士が里見八犬伝となったのかな?想像は何処までも続きます。ともあれ駐車場に戻り、次の目的地の崖ノ観音のポイントをカーナビにセットして市内を横断してゆきます。
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