■ 遠野伝承園 ■

午後2時25分に伝承館駐車場に到着。隣に食事処があり期待し地元の食事をした。 定番のランチは遠野蕎麦、ひっつみ(すいとんの様な食事)、山菜の漬物で郷土食を大変美味しく食す。 昼食後、待ちに待った伝承園へ期待を込めて入園。5月連休で多くの人達が訪れて園内は大賑わい。 案内図の前で全体を把握しスタート。老若男女、家族連れが行き交う園内を順路に沿って全体を見学する。


遠野地方の農家を再現し伝承行事、昔話、民芸品の製作などを体験できる。 国重要文化財の旧菊池家住宅や遠野物語の話者、佐々木喜善記念館、 千体のオシラサマも展示され、この地の郷土に触れる事が出来た。


食事処

伝承園マップ


伝承園案内

旧菊池家住宅

■旧菊池家住宅…この地特有の曲り家で旧盛岡藩領、特に盛岡市周辺や遠野盆地を中心に多く見られる、母屋と馬屋が一体となったL字型の住宅。 伝承園の曲り屋は小友町にあった旧菊池家で国重要文化財です。 18世紀前半の建築で最初は普通の家だったが、後に馬屋をつけて曲り屋になった。 開口部が少なくチョウナ削りの柱があるなど古い民家の特色がある。(63坪)

板屋では覗いたら「予約した方のみです。」と入る事を断られた。とりあえず外観を撮影。 板倉では昔話の語り部の家で予約制でした。 園内のトイレは右入口が一般の使用できるトイレで、左側は昔の厠作りになって見学できる。 さらに曲り屋の住居部分も見学。別の部屋では民芸品の製作の実演体験が出来る。

板倉…昔話の語り部の家

園内のトイレ
民芸品の製作の実演体験

旧菊池家の曲り屋…住居部分

湯殿と書かれた昔のお風呂で私にも記憶のある木枠の楕円形のお風呂です。 40年前に妻の実家で五右衛門風呂に入った事があるので懐かしい。
次は井戸で子供の頃、近所で井戸掘りがあり道路まで数人の人夫が掘削しているのを見た記憶がある。 関東の掘削された土から子供心で粘土を集めた記憶が浮かんできた。
井戸の処から旧菊池家の曲り屋全景を撮影。 右が住居、左が馬屋で若干馬屋の屋根の方が低い。

湯殿

屋根付き井戸

井戸の処から撮影
昔のお風呂



井戸の奥に水車小屋が

そして旧菊池家の曲り屋の裏手に回って見た。 そこには旧菊池家の曲り屋と通路で御蚕神堂が繋がっていた。 はじめは御蚕神堂…何だろう!判らないままに撮影したが、後で理解した。…後ほど解説。
遠野地方の景観を楽しみます。奥に歩いて行くと「子宝金勢様」の案内板がある。…何だこれ? 昔からあるこの地の文化で子供を授かる願いの社です。

5月だなぁ!

旧菊池家の曲り屋の裏手
御蚕神堂

「子宝金勢様」を通り過ぎどんどん奥へ行く。山並みが見え遠野にいる実感が湧いてきた。
深い山に入りこんだような山小屋風の建物が見えた。何だろう?と思いながら近づいていくと炭焼き小屋でした。 係員が薪を割る処を撮影。…ありがと!

子宝金勢様



炭焼き小屋

薪を割る




小屋内は炭作りの土釜から煙がモウモウと…

出来上がった炭の保存小屋
園内の奥から戻り、遠野物語の語り手 佐々木喜善氏や遠野物語を世に出した柳田國男氏などの石碑がある処に戻ってきた。 それほど広い園内ではないので30分もあれば散策できたが、内容的には満足した。





喫煙所で小休憩。この後は遠野を少しでも知る事が出来ればと家屋に入り深耕を深める。 伝承園は今は少なくなった数少ない東北地域の心のふるさとを見せていると思う。 各都市で近代的な都市環境が見られる中で、昔の人達の暮らしぶりを再現している伝承園やそれを代表する施設は、 現代人の心が求めているものではないでしょうか。
園内を再スタート。 まずは断られた板屋の側面の外観を撮影。そして旧菊池家住宅の勝手口から入る。

旧菊池家住宅の勝手口

馬屋の中を覗くと地面より低く掘ってあり中に立つと天井が高く感じた。 現在は倉庫のように荷物が置かれていたが、当時は雪深い冬を越すために馬屋の中で世話をしたのでしょう。
住居と馬屋の間は土間になって釜や水回りがある。 ここで家族の食事の準備や近所の人達とお茶飲み友達が集まり、世間話で盛り上がったのではないか。 妻はこういう感じが大好きです。






住居と馬屋の屋根の高さが若干違いがあり、その繋ぎ目には塩ビの波板で雨漏りを防いでいた。 軒下には大根の干し物や護摩が入ったような餅が保存食として吊るしてある。





切絵師、岩館尚文さんが「遠野の民話」の世界を独自の技法で表現している。 現在は切絵のほかに墨絵、油絵、絵馬など手がけていまる。
それでは旧菊池家の住居部分に入って見ます。 織物を織る木製の機械や竿が展示してある。 奥座敷、寝部屋と続き懐かしい円形の御膳や箪笥も展示。 語り部がおこなわれている部屋は静寂に包まれ、そお〜っと奥の廊下に入って行った。
…そういえば「御蚕神堂」(オシラサマ)の紹介をしたが、ここはその内部と気が付いた。

旧菊池家の住居部分の縁側で…





旧菊池家の住居部分の表座敷

天皇陛下が使用したスリッパ



雨戸が閉めてあり暗い

オシラサマ…素朴だが生活の中にとけ込んでいた民間信仰の一端が見れる。 御蚕神(オシラ)堂があり、中には娘と馬の恋物語で知られるオシラサマ千体が展示。 裸電球の照明があり外光が一切ない。 天井近くまでぎっちりと飾られているオシラサマを見ていると、気の弱い人なら背筋が寒くなるような緊張感と不気味さを感じる。 布には願い事が書かれてあり、書いている人の願いが伝わってきた。

四方の壁に… …色とりどりの一千体のオシラサマ

■オシラサマ伝説…昔あるところに貧しき百姓あり。 妻はいなく美しき娘と一匹の馬を養う。 娘この馬を愛して夜になれば厩に行きて寝ね、つひには馬と夫婦になれり。
…ある夜父はこのことを知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。 その夜娘は馬の事を父に尋ねてその事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首にすがりて 泣きゐたりしを、父はこれをにくみて斧をもちて後ろより馬の切り落とせしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま 天に昇れり。オシラサマといふはこの時よりなりたる神なり。(遠野物語第69話)…伝承園御蚕神堂資料より


観光客の中には、「感じる〜、気味悪い〜」と言って早々にここから出る人もいた。
オシラサマから出て、語り部の部屋に戻ってきた。 …暫くすると語り部は終了し、皆さん散会してゆく。 その中で妻はチャッカリ、語り部の方と二人でお話して…暫く出てこなかった。 語り部の方と二人で話しているのを記念撮影。

私は天皇陛下が語り部の方からお話を聞いたこの部屋の撮影。 語り部の方と興味ある人との会話も撮影。 この部屋は語り部の方を中心に座布団が敷いてあり…囲炉裏を囲んでの昔話を…(語り部は予約制)










一度、屋外に出ました。晴天の日差しが眩しく感じました。そして再び、屋内に入ります。 ここは民芸品の製作などを実演体験できます。 ここでは遠野の「河童伝説」で木から河童を彫っている職人さんがいました。一つ一つ手作りです。




屋根には草木も生えて…



河童を彫る職人
外に出ると陽光がまぶしく遠野の原野が心を包み込むような感じで癒してくれる。 一息して伝承園入口前に戻った。 喫煙場所が限られているから一服が美味しい…その一言で妻が止めたら…私は無言!




佐々木喜善記念館

■遠野物語…小説家・民話蒐集家であった佐々木喜善によって語られた遠野盆地〜遠野街道に纏わる民話を、 柳田が筆記・編纂し自費出版した初期の代表作です。
物語の内容は?…天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから山人、マヨヒガ、神隠し、死者などに関する怪談、 さらには祀られる神様、そして行事など多岐に渡っている。 その遠野物語の内容が岩手、遠野で語り部として、今尚、語り継がれている。



伝承館石碑



安全太郎の河童ちゃん!

人それぞれ心の故郷があり、年代、地域、育った環境、家族の構成から必然的に心の故郷は一人ひとりつくられる。 それらをある程度集約してくれるのが、日本各地にあるその地の思い出です。
心の故郷は日本人の数だけあると思う。
今回東北地方を旅する計画で遠野を選び、形あるものから、言い伝えられてきたものを知り、また一つ日本の故郷を見つけた思いです。
…現代人の心の拠り所、あなたにもあります。


妻と顔を見合わせて思わず、ニッコリ!二人で遠野を共感して受け止める事が出来て良かった。 道路の向かい側に河童淵があるが、あまりにも多くの人が向かっているので、案内で少し離れた処にある、たかむろ水光園に向かう。
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