■ 平泉中尊寺…不動堂から金色堂、旧覆堂へ ■

いよいよ中尊寺の中枢部分にやってきた。 多くの堂宇が集結し前後左右見落とししないよう絵地図を良く見て回る。 讃衡蔵(宝物殿)前は休憩所で、とりあえず入場券を購入して一服。
不動堂は中尊寺の祈祷道場で、ご本尊は不動明王で、家内安全、身体健全、病気平癒、商売繁盛、受験合格、厄除開運など、 毎月28日が不動尊の縁日で護摩を焚く。

本堂の先、左側に不動堂

不動堂の祈祷

峯薬師堂…峯薬師堂は間口3間の宝形造り瓦葺きの堂宇です。 御本尊は約2.7mの薬師如来の座像で金色に漆を塗り金箔をおいたもので、藤原末期の作で重要文化財として讃衡蔵に安置。 現在の御堂は昭和57年の改築で、御本尊も薬師如来を中心に日光菩薩、月光菩薩の三尊としている。…案内板より

本堂の隣には峯薬師堂というお堂があり、ここの薬師様は、眼病にはとりわけ霊験あらたかという。
宝塔(平安時代)は重要文化財で五輪塔の一つの原始形式を成し塔身の四方に大円相を刻し、内に梵字を配置し大日如来を現わしている。
参道をさらに登って行くと大日堂、鐘楼、阿弥陀堂など時代のついた素朴なお堂がいくつかある。
大日堂の左手に宝塔があり、その奥に参道からは見えなかった屋敷があった。

峯薬師堂

峯薬師堂の宝塔

大日堂

薬師如来を中心に日光菩薩、月光菩薩の三尊

峯薬師堂 宝塔の横から撮影

大日堂

大日堂から撮影

月見坂は下りに入り参道は終わりになる。 その片側に可憐な猩猩袴(しょうじょうはかま)が咲いているのを見つけ撮影。
鐘楼は当初2階造りの鐘楼だったが、建武4年(1337年)の火災で焼失。 鐘楼には1343年に鋳造された梵鐘が納められ、その梵鐘の銘には中尊寺創建の由来が記されてある。
大日堂、鐘楼、阿弥陀堂を過ぎて参道が中央広場になった。 その左手に讃衡蔵(さんこうぞう)がある。 ここは中尊寺ほか山内寺院の文化財を収蔵、展示する施設です。 そのほかに奥州藤原氏の遺宝、国宝や重要文化財も収蔵している。 ここで讃衡蔵と金色堂の共通拝観券を購入。(800円)
入口で撮影したら、これ以降は撮影禁止と云われて…残念。以降神聖な気持ちで拝観。



鐘楼

讃衡蔵



以降は撮影禁止
猩猩袴(しょうじょうはかま)

阿弥陀堂

参道の広場は中央に桜が開花



讃衡蔵を出た所に休憩所があり、お土産店やトイレ、休憩所がある。 また参道部分は中尊寺の中心部分で広くなっている。
弁財天堂は金色堂の丁度向い側にあり、茅葺の寄棟造りの屋根で間口3間の建物です。 周囲を池で囲まれた小島の上に建立され、基礎束が高くなり湿気から護ると同時に印象深い容姿になっている。

金色堂(パンフレットから抜粋)…中尊寺金色堂は天治元年(1124年)に建立された奥州藤原文化の少ない建物の遺構です。 初代藤原清衡により建立され、一辺が3間(5.46m)の宝形造、木瓦葺の堂宇で、柱、壁、床、天井、扉など総漆塗りの上に布を張り、 その上に金箔を張ってある。 内陣内部には中央に御本尊である阿弥陀如来を安置し、観音菩薩、勢至菩薩、地蔵菩薩、持国天、増長天などの仏像が並び 当時の文化の高さを感じる事ができる。(国宝)
眩いばかりの奥州藤原文化を堪能できた。何故か皆、無口になり室内は静寂感に包まれた。

弁財天堂

金色堂の覆堂

覆堂の出口…何故かため息が出た!
樹木に覆われ一段と静寂感ある金色堂の覆堂

金色堂…外から撮影(以降撮影禁止)

覆堂を出た処に天皇皇后陛下の歌碑

覆堂に並び中尊寺経堂がある。彩色などは剥げ落ち、歴史の重みを感じる。 現在の建物は平安時代の古材を使い、鎌倉時代に建立された。
中尊寺経堂…創建時の経蔵は「供養願文」には「2階瓦葺」とある。 建武4年(1337年)の火災で上層部を焼失したと伝えられてきたが、古材をもって再建されたものであろう。 荘厳は歳月に洗い流され、金色堂とは異なった趣がある。 本尊は騎師文殊菩薩像。経棚にあった紺紙金字一切経(国宝)は、讃衡蔵に保管。…案内板より

天満宮…此の天満宮は菅原道真公の第14世孫、菅原為視公が勅命により奥州平泉へ下向逗留の時、 出生した乙王丸に京都北野天満宮より勧請して授けた天満大自在天神の御真影と観世音菩薩をお祀りしています。…案内板より 天満宮は中尊寺境内の最奥地の高台に鎮座。
天満宮を通り過ぎて金色堂の旧覆堂がある。その手前に奥の細道で訪れた松尾芭蕉像が建立されている。

中尊寺経堂

天満宮…菅原道真公子孫の建立
経堂の騎師文殊菩薩像

松尾芭蕉像

金色堂の旧覆堂は室町時代に建てられ、現在の覆堂に変わるまで約700年、貴重な金色堂を守り続けた。
旧覆堂に入り四方を見回すと、その一辺には秀衡公と義経の対面の壁画がある。 旧覆堂は金色堂の場所から、ここに移築され、ここからは参道の中心が見渡せ、弁財天堂も上から見ることが出来ます。

金色堂の旧覆堂

秀衡公と義経の対面の説明文

金色堂の旧覆堂
旧覆堂の内部

秀衡公と義経の対面の壁画

弁財天堂
中尊寺の最奥まで来た。当時の平泉は奥州の中心地として毛越寺とともに、中央の文化も積極的に取り入れ独自な文化が開花した。
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