■ 国宝 瑞巌寺歴訪 ■

828年、慈覚大師によって創建されたと伝えられる。 瑞巌寺は奥州随一の禅寺で伊達政宗公の菩提寺です。 現在の建物は慶長14年(1609年)政宗公が桃山様式の粋をつくし、5年の歳月をかけて完成させたもので 政宗公が心血を注いだ荘厳な大伽藍です。…(松島町公式WEBから引用)

今回の旅の最大の目玉、瑞巌寺に歴訪します。 参道の杉林が本堂へ続き、木漏れ日が石畳を照らしている。 総門前のお土産店は開店の準備中で、総門はお店の車があり正面から撮影できなかった。


総門


向こう側の道には苔むした洞穴と石像群があり、帰路に寄る予定。 受付前に延命地蔵と塔がある。 拝観料を払い中に入ると苔の絨毯が目についた。




受付の正面




平成の大修理…平成20年11月から平成30年3月まで大修理がおこなわれている。 屋根瓦、瓦下地、床組、建具、土壁、敷居、長押等、飾金具を解体し、御成門は屋根瓦、土壁、建具、本堂取り合いの柱間を解体。 その後発掘調査が…。 終了後に本堂全体を持ち上げ基礎工事と柱の破損した修理をするそうです。

瑞巌寺公式ホームページのダウンロードサイトから利用規約に同意してダウンロードした映像

  瑞巌寺本堂@   瑞巌寺本堂A

  本堂俯瞰     正宗公が朝鮮戦争から兜で持ち帰った紅白の臥龍梅

平成30年まで元気でいられるか…今回が見治めかと思いながらの拝観です。 登竜門左側に観音像があり庫裡への門を入ると金銀木がある石庭が正面にある。 最初に目に付いたのが岩山をくりぬいた堂宇がある。 こんな処に何故造ったのか不思議でたまらなかった。







庫裡

登竜門

金銀木がある石庭


庫裡は禅宗寺院の台所にあたり、巨大さと妻飾りの彫刻、白壁と木組のコントラストの美しさが映える。 庫裡の中は撮影禁止の立て札があり、それを避けての撮影になった。 庫裡内は本堂から移動した重要文化財が展示され息をのむ感じでの拝観でした。…来て良かった!
宝物館へ 庫裡



羅漢の間




庫裡から出た時は何か、ほっとするような気持ちになった。 警備員の人と雑談して直立不動の姿勢が立派。この後反対側にある青龍殿(宝物館)の見学に向かう。 青龍殿(宝物館)では所蔵品の展示に感嘆しながら館内を見学した。 訪れる人は私達と同年代が多い。 特に雲版は大衆に食事時を告げる法器で嘉暦丙寅秋 住持明極誌の銘は嘉暦元年(1326年)円福寺10世明極の鋳造を示す。(国指定重要文化財) また伊達政宗公甲冑像で文録2年(1593年)27歳の雄姿を再現した等身大の木像等が見学できる。

楸(ひさぎ)

本堂の「上段の間・上々段の間」を再現



梵鐘

雲版

伊達政宗公甲冑像


館外に出た時は日差しが眩しく感じた。この後、陽徳院御霊屋 寶華殿の見学に、 陽徳院御霊屋 寶華殿へは岩の門をくぐり奥の境内に向かう。岩の門が異様な感じ。 修行道場や陽徳院のコウヤマキや陽徳院山門の方へは入れません。 その脇の道を山の方に登って行く。 名前の通り絢爛豪華な陽徳院御霊屋 寶華殿です。 寶華殿から下方に陽徳院の全景を撮影。ここで小道は行き止まりで引き返す。

岩を切り抜いた通路



修行道場



寶華殿から下方の景観
岩に根を絡ませた大樹が異様な景観





陽徳院御霊屋 寶華殿

岩に囲まれた瑞巌寺の境内に戻った。 東北地方の古寺も当時の政権の影響を受けて天台宗から臨済宗へ、 奥州藤原氏、鎌倉幕府と様々な影響を受けて江戸時代には伊達正宗の隠し砦の説もあり、 知れば知るほど興味が湧いてきた。 境内のもう一つの道を総門に向かうと岩壁に彫られたいろいろな像を見学できる。 瑞巌寺洞窟遺跡群は五輪塔や笠付塔婆など多くの墓標が安置されたり、壁面に彫りつけてある。 大岩に何かを記した模様がありました。意味は判りませんが…誰が何のために…





なんの塔かな…



人の横顔に見えませんか?

瑞巌寺洞窟遺跡群

鰻塚




鉄道殉職者慰霊碑



瑞巌寺洞窟遺跡群



鰻塚…大正12年9月、松島湾で捕れた鰻の供養として地元民の寄付金で鰻塚が建立された。

明治の初めに寺領が没収され全国の廃仏の風潮が盛んになると、 収入を失った瑞巌寺は窮乏し付属の建物の多くが荒廃して失われた事は非常に残念に思った。

今回の歴史探訪で瑞巌寺、伊達家の繋がりも、ほんの一部を知ることができ満足した。

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