■ 西国の覇者 毛利氏の広島城 ■

戦国時代の毛利氏の居城は吉田郡山城で松江の尼子氏の大軍を撃退した経験を持つ堅固な山城であり、 また山陰、山陽を結ぶ重要な位置にあり、領土の争奪戦を伴う戦国時代の毛利氏には適した位置であった。 天正時代の終わり頃は、中国地方9ヵ国120万石の太守であった毛利氏に吉田郡山城は政務所としても手狭なものとなり、 1589年(天正17年)広島に築城が開始された。

山陽自動車道を広島ICで下りて約20分、市の中心部へ車を進めると県庁前が広島城です。 駐車場は無く県庁の地下駐車場を利用した。 100万都市の割にはこのような施設の駐車場が無いのは寂しい限り。
城址公園から表御門へ

再建された表御門

二の丸太鼓櫓

広島城は川の中州の埋め立てと掘割の大工事となり、城の構造は大坂城を参考とし、 近世城郭として築城され、縄張りは聚楽第に倣い、軟弱な三角州地盤に築城したため、 石垣の重量を分散させる工夫がなされている。 この築城は同時期に豊臣秀吉の朝鮮征伐の後方基地としての期待もあり、 秀吉は築城技術のサポートとして側近の黒田如水を派遣し、自らも建設中に広島城に滞在したという話も残る。

表御門に入る前に外濠から二の丸の太鼓櫓と多聞櫓を撮影しに行く。
表御門と平櫓、多門櫓、太鼓櫓が当時の建築様式で再建されている。 一部原爆で焼けた石垣の色が印象に残った。 表御門から二の丸内に入る。表御門橋も焼失前と同様な造りで再建してある。 本丸内に見える建物は広島護国神社です。 中国地方の中心として壮大な規模を誇った広島城は、今は内堀と本丸、二の丸だけが残され、 本丸には大天守が外観復元された。

二の丸太鼓櫓

表御門と平櫓

表御門

表御門橋

表御門と平櫓

本丸内に広島護国神社

石垣と櫓が一体感

二の丸は角馬出しの機能を持ち、現在復元された建物の他に馬屋、番所、井戸があったという。 太鼓櫓の2階以外は内部見学可能でした。 内側の石段から多門櫓へ入る。ここからは平櫓、表御門、多門櫓、太鼓櫓と繋がっていた。 表御門と平櫓の渡り廊下から二の丸の景観を撮影。

表御門

表御門と平櫓の出入口

二の丸
内側から見た太鼓櫓、多聞櫓

入口から太鼓櫓方向の景観

二の丸

駐車場から強い日差しの中を歩き、気温も30度を越え非常に暑い日。 タオルも用意して水も準備してきたが建物内に入ってやっと一息ついた。 見学はこれからというのに熱中症にならぬよう用心して見学。
表御門の櫓内には太鼓櫓と平櫓の模型が展示されている。 また実際の櫓の天井の梁は非常に多くの木材で支えられていた。 屋根瓦の重さを支える為、天井の梁は非常に多くの木材が必要だ。

太鼓櫓の模型

表御門の天井
平櫓の模型

平櫓の部屋に三子教訓状(複製)が展示

広島を語るに毛利家のことは外せない。 毛利家が城郭を構えた期間はそれ程長くは無いのに城内の至る所に毛利家に関する多くの資料が展示されているのに驚いた。 広島県人の毛利家への思い入れは深い!
平櫓内から太鼓櫓まで見通しが良い。平櫓内は中央が畳敷きの部屋がある。 多門櫓に矢狭間、鉄砲狭間が等間隔で造られていた。 多門櫓の通り廊下には二の丸に関わる多くの資料が掲示されている。 太鼓櫓は1階のみ見学でき此処には大太鼓が置いてある。 太鼓は自由に打てる…遊び心が伝わる。

平櫓内



太鼓は自由に打てる
多門櫓にある矢狭間

多門櫓から太鼓櫓へ

太鼓櫓2階への階段

太鼓櫓から二の丸を見渡すと屋敷の配置の概要が良く判る。 江戸後期の広島藩の絵図を元に二の丸の馬屋、番所、井戸の遺構の配置が示されている。 二の丸の表御門から本丸への中御門へは通路があり、二の丸の奥側に屋敷が集中しているのが良く判る。









二の丸番所跡

二の丸広場に出ると表御門の内側に再建された門と石垣塀の説明がある。 赤っぽい石は原爆で焼けた石で非常に脆いと記してあった。 石垣の再建には新たな石を組み合わせたので石垣が斑模様になっている。
二の丸から本丸への大手虎口にあたる中御門跡枡形中央右の低い樹木が被爆木のユーカリ(爆心地より740m)です。

表御門の内側

二の丸中央から太鼓櫓を撮影
赤っぽい石は原爆で焼けた石

二の丸から本丸への入口、中御門

広島といえば人類最初の原子爆弾の被災地としてあまりに有名ですが、1945年の敗戦までは広大な軍用地を市内各所に持つ一大軍事都市でした。 中でも広島城とその周辺は中国軍管区(第五師団)を中心としてさまざまな軍の施設が集中していた。 原爆により全て崩壊したが僅かに残る当時の面影を探し歩いた。

陽光が強く、タオルで拭っても後から汗が噴出。水分をこまめに補給し見学。 お堀には鯉が泳いでいた。広島城は鯉城とも云われる由縁でしょうか。 プロ野球広島東洋カープのカープは英語で鯉の意味です。

ここから本丸

中御門跡入口
本丸東側の石垣

被爆木のユーカリ(爆心地より740m)

二の丸の見学が終わりこれから本丸へ入る。 門跡の右側には原爆で焼けたユーカリの木がある。 一時、死滅した樹は根っこから再び再生し、ご覧のように成長している。 ただ放射能の影響を受けたのか、樹の生育が少し違和感があった。 このような樹が城郭内に多くある。

…という訳で本丸へ足を踏み入れた。所々の巨石は修復の為、新しい石が組まれているのが判る。 本丸内から見る太鼓櫓と多門櫓の景観も美しい。 ただ、本丸内側の石垣は当時のままの石垣のようで戦災で崩れたものを組みなおし、修復した後が見られた。 本丸内は意外に広々として、その一角に広島護国神社が建立された。…本丸下段エリア

本丸西側の石垣



中御門から入り左手に広島護国神社




私達はそのまま真っ直ぐ…

本丸内で一段高い位置の処に来た。…本丸上段エリア
石段を登り高い位置の本丸は散歩の人や観光の人が多い。 城郭内は屋敷跡やそれにまつわる所はほとんど無く、明治以降の軍管区の施設跡が目立ち、お城のイメージとは少し違和感がある。





中央が大本営前庭築山




広島大本営跡まで来ると天守が…

そのまま進んで大本営前庭築山の正面に来ました。此処には史跡広島城跡の案内が記されています。 大本営前庭築山から天守閣へ小道が続き、木陰が続き少しの間、日差しから逃れます。途中、広島大本営跡を別の角度から見るかたちで天守閣へ向かいます。

広島大本営跡から望遠で撮影

広島大本営跡
大本営前の庭築山

広島城は戦災で城址が焼失するまでは国宝に指定されていた事を知り、ますます失った史跡を残念に思う。
休憩処…石垣の処では心地よい風が汗ばんだ身体を冷まして、ひと時の休憩は妻も喜び小休憩が大休憩。

樹々の間から天守が望め、思わずシャッターを切った。 再建された天守閣の手前に戦災前の天守閣の礎石が移動され復元されている。 天守閣前の登り石段の所は木陰になって喫煙処でスモーカーが休んでいる。



天守閣の礎石群


海外から観光に来た人が増えてきた。 ガイドの方と一緒に説明や撮影、そして記念撮影と賑やかです。 天守閣の撮影が思うようにいかず、とりあえず撮影。天守内を見学後にチャンスを見つけよう!
天守閣上部の映像


とりあえず撮影しておこう!
本丸を散策し天守閣前まできた。 現在の天守閣は1958年(昭和33年)に「広島復興大博覧会」が開催された際、鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された。 外観を当時の資料に基づいて再建したが、ちょっと寂しい気がする。また内部は歴史博物館として利用されている。
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