◆天守閣へ◆  天守は連結式と呼ばれるもので、複合連結式ともいい、大天守から渡櫓で2つの小天守を南と東に連結するものであった。望楼型で黒漆塗りの下見板が張られた壁面は豊臣秀吉の大坂城天守を模したともいわれ、屋根には金箔瓦が施されていたともいうが、内部は天井も張られていない簡素なものであったという。
   …フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

最初の映像は天守閣見学後に戻ったら誰もいなかったのでチャンスと思い、駆け足でポイントを見つけ撮影したものです。Photo Galleryへ掲載が楽しみです。
待望の一枚を撮影できた。


入口に石垣が組まれ展示されていました。

広島城の構造について、毛利輝元による城の築城の過程、関が原以降の広島藩の成立から幕末に至るまでが映像や資料、模型などで展示してあります。





甲冑や刀剣などが常設展示されています。撮影していたら禁止と言われて、慌てて中止!





こちらは同じ常設展示ですが城下町のくらしが再現されています。ここは武家屋敷が再現されていました。





複製ですが広島城下絵屏風を良く見ると当時のくらしの状況が良く判ります。





こちらのコーナーでは城下の商家が再現されていて、くらしの様子が判ります。
天守閣の金箔瓦が複製再現してあります。




 



武家が使用していた駕篭(結構古いものです)

庶民のお祭りのコーナーでは鮮やかな色彩の飾り物が…





 





最上階は展望室になっていて市内全域見ることが出来ます。
今日は天候もまずまずで、多少霞んではいますが見晴らしは良いです。

北側の展望


南東の展望

連格式天守閣の特徴で本丸内の景観の眺めが良く、緑に包まれた城郭内が美しく映えます。
南側の展望


南側の展望

天守の最上階南側で望遠で、原爆ドームの上部が視認できます。(中央部)
旧広島市民球場や原爆ドームの頭が見えます。


外に出て華頭窓と呼ばれる窓の形も見てください

   …毛利家の当主 毛利輝元は思う
   交通の要衝である広島、太田川三角州に築城を開始し、1559年に完成した天守閣からの展望は輝元はどのように
   思ったでしょうか? 周りを尼子氏、大内氏の強力な戦国大名に囲まれ、弱小な土豪から起ちあがり中国地方の覇
   者になりました。 これから天下を取るか、永年を家名を存続させるかであなたならどうしますか?自分だけでなく、
   多くの家族や家臣を従えて、輝元はこの天守閣からどのような気持ちで眺めたのか!

 
南西の展望


天守直下の展望

 
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