◆広島城内濠を歩く◆  浅野藩政時代の広島城は内堀、中堀、外堀のある約1km四方の広大な城だったが、明治維新後には1911年(明治44年)に外堀が埋められ、さらに原爆の瓦礫で中堀が埋められて現在の規模になった。広島市内の八丁堀、薬研堀などの地名は堀があった名残です。八丁堀は約8丁(約880m)あった東側の外堀で、また縮景園は元々城内だった。

天守閣を見学して裏御門から出て、お濠端を散策して見ます。木陰で一休みした樹が原爆で被爆した樹で、今ではここまで再生したのを見て触って感激しました。
被爆樹木 クルガネモチ(爆心地から910m)


裏御門(搦手門)標識

搦手門にあたる裏御門からは現在車両が出入りできます。
裏御門(搦手門)


裏御門跡から南側の石垣を撮影。

   …三子教訓状
   毛利元就が1557年に3人の子(毛利隆元、吉川元春、小早川隆景)に書いた文書で、この文書は、三矢の教えとして
   も有名である。「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々結束すること」という有名な
   三本の矢の逸話は、この三子教訓状がもとになって作られたと言われている。
   (尚、三本の矢の逸話は三子教訓状に記載がありません)
   ちなみに自分の3人の息子に話して聞かせたが…

裏御門跡からお城を左回りでお濠端を散策してゆきます。
裏御門から北側の石垣


お濠の角に来ると遠くに天守閣が遠望できます。

お濠端にも被爆樹木がありました。クスノキで爆心地から1120mで、途中で折れ曲がっていますが被爆の影響と記されていました。
被爆樹木クスノキ


お濠端の角を曲がると裏御門の通路が見えます。

今回の旅は金曜日に休暇を貰い、3日間の広島巡りです。
高いビル群を樹木で隠して天守閣を撮影。


こちらも低い位置から撮影。

今日は週末の金曜日でお昼時間の為、近くの会社からサラリーマン達が周回道路をジョギングしたり、キャッチボールなどをして昼休みを楽しんでいました。





こうして色々な角度から天守閣を撮影してゆきます。…あなたならどの角度がお好みですか?





お濠の幅が非常に広く、石垣が低いとはいえ、城郭の美しさが際立ちます。…鉄筋コンクリート製は残念に思うが。





ビル群がなるべく映らないように工夫しながらお濠端を半周して小公園のほとりまで来ました。
お濠の幅を強調した映像です。


こちらは花壇の色を添えた映像です。

こうして半日の広島城の歴史巡りは一段落しました。原爆投下で地域全体が跡かたもなく焼失した後から現在の広島が復興しました。歴史的建造物はありませんが、書物や人の心の中に今も脈々と語り継がれている広島があります。午後の予定では原爆記念館へ足を運んで見たいと思います。
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