◆岡山城 大手門方向から再入城◆  石垣の構成上、不等辺五角形をした天守は南北に比べて東西幅が倍以上あり、1階と最上階の屋内面積が大きく異なり、南北方向から見ると塩蔵が西面に付属していることもあり、非常に安定した優雅な姿をしている。上中下段に縄張りされた城郭の最も高い天守曲輪(本壇)は、北端に天守閣、中央部に御殿が有り、宇喜多氏時代にほぼ全体が完成している。

大手門方向から下段の城郭内の下馬門跡を抜けて折り返すと中段の城郭の入口、南西隅の大納戸櫓跡櫓台の高石垣が現れる。



鉄門跡

Uターンするかたちで石段の上に鉄門跡がある。中段の城郭正面の虎口で、切妻造りの櫓門で、一階部分は鉄板を張り付けた堅固な門であった。
鉄門跡から見上げると天守曲輪(本壇)の高い石垣が…

鉄門跡から見上げる不明門

   鉄門跡から見た不明門。櫓門式の石垣は高石垣となっている。今は土塀になっているが、当時は、不明門から
   本壇南面方向へ多聞櫓でつながっていた。土塀は単なる土壁ですが多門櫓は長屋形式の建物で、石垣の上に
   防壁と城郭の施設の主要な建物を防備する形で建てられた。

鉄門跡から中段城郭内へ入ります。石段を登り右に曲がると再び表書院の礎石がある中段へ上がります。





ここでもUターンする形で曲がると不明門が正面に見えてきます。
ボランティアの方が観光客の案内説明を行っていたので、一緒に聞いてしまった。




   本壇への正門である不明門は明治の廃城後、取り壊され、昭和41年鉄筋コンクリートで復元された。本壇全体の
   入口を固めた渡櫓門形式の大型の城門だが、通常は閉ざされ北端の天守付櫓西側からの渡り廊下を使用した。

日差しが強く、日陰を求めて不明門の下で少しばかり休憩!持参した水が美味しい!
休憩後、ここから天守曲輪(本壇)に上がります。


登りきった所から不明門を撮影
戦時は門を閉じてこの窪んだ部分に土砂を寄せて門が開かないように工夫されています。

天守閣の礎石(移設)天守閣が元の位置に鉄筋コンクリートで再建されたため、その礎石を移し、元の通りに配置してある
不明門から天守曲輪(本壇)を撮影


移設された天守閣の礎石…当時は此処には櫓や多種の家屋が在ったようです。

天守曲輪(本壇)を左手方向に進むと天守閣が見えてきました。
途中に要害門があります。




よくみる岡山城の姿が見えてきました。あぁ、ここから撮影したものが印刷やWEBで見ているものだと実感しました。私もいろいろな形で撮影!



付櫓の塩蔵(左端)と天守閣

付櫓の塩蔵の方向から撮影。本来の出入り口は付櫓の塩蔵で、石垣正面の入口は観光用です。
岡山城の歌を歌った詩の石碑




妻が入場券を購入している時に撮影。入口から御殿のあった芝生のエリアも撮影。




   黒漆塗りの板がはめ込まれた外壁が特徴の天守閣。アクセントは屋根に金箔を貼った鯱鉾や瓦が葺かれ、
   黒色に金が映えて非常に美しく見えます。戦前まで国宝とされていたが戦災で焼失したのは広島城とともに
   非常に残念である。

城の出入り口の処にガラスケースに収まった金箔に装飾された鯱が展示してありました。続いて戦国時代の絵巻物が掲示されていて、宇喜多時代の中国地方の様子が記されています。





内部は鉄筋コンクリート製の為、エレベータ付でした。5階まで一気にエレベータで行き、階段で最上階の天守へ行きます。
中央右端の建物は岡山県庁


川の向こう側は後楽園です。

   金の鯱…
   岡山城の金の鯱は昭和41年に再建復元された時に造られ、土製の瓦として焼いた後に漆を接着剤にして金箔を
   貼り付けてある。同様のものが、現在の天守閣につけてある。尚、宇喜多時代の鯱の金箔は部分的なものであった。

天守は金網で覆われていて一部窓が開放でした。ここから四方向を撮影。金の鯱も撮影しました。
ガラスが反射してしまった。


開放された窓から再度、撮影!

お城の見学はいつもは下から上がっていったが、今回は初めてエレーベータ付のお城のため見学のコースが逆になってしまった。という訳でこれから階段を下りながらの見学になります。
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