■ 岡山城の歴史 ■
宇喜多直家によって築城された岡山城は、関が原の戦いの政変で西軍から東軍へ寝返った小早川秀秋が入城した。 その後の岡山城にまつわる伝説には、なぜか毒殺、暗殺といった陰惨な事件が多い。 小早川秀秋は武将から白眼視され、裏切りの後遺症で乱行に走り、早死にし、小早川家は無嗣絶家となった。
天守からの景観を楽しむ。 お城の見学はいつもは下から上がったが、今回はエレーベータ付の城で見学のコースが逆になった。 という訳でこれから階段を下りながらの見学です。


城の出入口の処にガラスケースに収まり金箔に装飾された鯱が展示してあり、 続いて戦国時代の絵巻物が掲示され宇喜多時代の中国地方の様子が記されている。 岡山城の金の鯱は昭和41年に再建復元した時に造られ、土製の瓦として焼いた後に漆を接着剤にして金箔を貼り付けた。 同じものが現在の天守閣につけてある。 尚、宇喜多時代の鯱の金箔は部分的なものであった。

内部は鉄筋コンクリート製の為、エレベータがある。 5階まで一気に上り、階段で最上階の天守へ行った。 天守は金網で覆われ一部窓が開放でした。ここから四方向を撮影。金の鯱も撮影。

金の鯱

中央右端の建物は岡山県庁

金の鯱
戦国絵巻

川の向こう側は後楽園

開放された窓から撮影!

岡山城の成り立ちや出土品などが展示、説明がある。 岡山城の七不思議が屏風に記されていた。 「対面所の怪談」「蓮華石」「烏城のいわれ」「抜け穴の正体」「本丸の大火」など。 また波乱の生涯「宇喜多秀家」と数奇なる半生「小早川秀秋」が掲示。

天守の最上階

岡山城の七不思議

岡山城の七不思議

甲冑と具足

兜、甲冑、具足一式
5階 宇喜多時代の歴史

出土した展示物

宇喜多秀家と小早川秀秋

甲冑と具足

徳川家康書状と東照宮寄贈の唐太刀

城主の間では江戸時代の武将や殿様、お姫様などの装束で記念撮影ができる処。 鼻の高い欧米人がこの装束を着ると物凄く違和感があった。
休憩処で一休み!館内は冷房が効いて極楽。 ベンチに腰掛け水分補給。泡の出る飲み物が欲しいです。 ここは江戸時代の城下町の様子が再現され、いろいろ楽しむ事が出来る。 職人や商家、両替商などの店が再現されている。 ストロボ禁止で撮影したのでISO感度を上げて撮影。

城主の間が再現

池田家伝来 陣太鼓







太刀

江戸期 町人文化の暮らし








城内の見学が終わり外に出ると陽光が眩しい! 付櫓の塩蔵の脇を通って中段の城郭へ下りる。
天守閣の石垣は五角形の形の石垣群で、築城され城主が変わるたびに修復や改築が繰り返され、 所々、石垣の積み方が変わっていることも歴史の流れを感じる。 本来、この通路の上は塩櫓から廊下門まで多門櫓で繋がっていたそうです。 日常、天守へは廊下門から塩櫓を経由して出入りしていた。

多聞櫓跡の通路



塀を下ると廊下門際に出る

この石垣は1620年の時代のもの

本丸下段から見た月見櫓




搦め手門としての廊下門



旭川は本丸を囲むお濠の役目 対岸が後楽園
午後3時頃になり、日差しも低くなった。 この後は月見橋を再度渡り後楽園に入ります。 本丸の下段の処や、せめて二の丸は見てみたかったが時間の制約でカットした。 私はお城を、妻は後楽園を、時間は半分ずつに分けて観光します。
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