■ 岡山城 廊下門から天守へ ■ |
|
駐車場の後楽園案内図 | 旭川 |
旭川に沿って遊歩道を通り岡山城へ 月見橋 | |
岡山という名の地に建てら月見橋から段々輪郭を見れる。 歴代の城主の家紋と天守を下方から見上げて撮影。ここは大手門の反対側で廊下門から入って行く。 宇喜多氏、小早川氏、両池田氏の家紋が石碑がある。 岡山城の歴史を戦国時代から明治期までの変革を紹介してある。 熟読してさぁ!入城! |
家紋の石碑 | |
廊下門 岡山城の歴史を今に… |
吹き出た汗を拭い一服してサァ!出発。先ずは廊下門から入城。 廊下門脇の石垣そして石段と塀が情緒が増す。此処は本丸中段で広いエリアです。 表書院のあった場所で江戸時代に拡張整備された。 ここ本丸中段の処、二箇所に宇喜多時代に造られた石垣が地面下にある。江戸時代に本丸中段として土盛りした。 |
城郭案内 廊下門に入る 掘削された宇喜多氏時代の石垣 |
復元した廊下門 ブロックで屋敷跡の区割りが表現 表書院の中庭にあった泉水 |
■泉水…表書院の中庭にあった泉水を復元してある。井戸から備前焼の土管で給水する仕組みですが今日は単なる水溜りのよう。
|
月見櫓 穴倉 廊下門 多門櫓跡から見る天守閣 |
穴倉 流し 月見櫓から見る中段の表書院跡 多門櫓跡 |
岡山城の大手門方向から再入城します。
不明門から入城したため、大手門の景観は撮影してない。
そこで大手門方向に一度下りてみようと行ってみた。
|
鉄門跡から大手門跡へ | | 鉄門跡から天守曲輪(本壇)の高い石垣が… |
鉄門跡 鉄門跡から不明門 |
鉄門跡から見た不明門、櫓門式の石垣は高石垣となり撮影。
今は土塀になっているが、当時は不明門から本壇南面方向へ多聞櫓でつながっていた。
土塀は単なる土壁ですが多門櫓は長屋形式の建物で石垣の上に防壁と城郭の施設の主要な建物を防備する形で建てられた。
|
不明門 |
| |
日差しが強く、日陰を求めて不明門の下で少しばかり休憩!持参した水が美味しい!
登りきった所で不明門を撮影。戦時は門を閉じてこの窪んだ部分に土砂を寄せ門が開かないよう工夫。
|
休憩後、天守曲輪(本壇)へ 不明門から天守曲輪(本壇) 要害門 |
| 移設された天守閣の礎石 天守 |
岡山城の姿が見えた。印刷物やWEBで見るものと実感。私もいろいろな形で撮影! 付櫓の塩蔵の方向から撮影。本来の出入口は付櫓の塩蔵で石垣正面の入口は観光用。 妻が入場券を購入している時に撮影。入口から御殿のあった芝生のエリアも撮影。 |
| 岡山城の歌を歌った詩の石碑 天守閣 |
付櫓の塩蔵(左端)と天守閣 本来ここに入口は無い | |
黒漆塗りの板がはめ込まれた外壁が特徴の天守閣。 アクセントは屋根に金箔を貼った鯱鉾や瓦が葺かれ、黒色に金が映えて非常に美しく見える。 戦前まで国宝とされていたが戦災で焼失し、広島城とともに非常に残念である。 | ||