■ 呉の歴史と大和ミュージアム ■

竹原駅前から大和ミュージアムまで国道185号線で約44kmの道程を瀬戸内海に沿って景観を楽しみながらドライブした。 安芸灘沿岸はいたる処に牡蠣の養殖筏が景観にアクセントをくれる。 呉市中心部手前の休山トンネルで渋滞があったほかはスムースに交通は流れ、大和ミュージアム駐車場に到着。


呉の大和ミュージアムは正式名称を呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムで平成17年4月23日に開館し、 訪問者の年齢層も幅広く、お年寄りから家族連れ、小中学生の団体、若いカップルまでが館内を熱心に見学する姿を見れる。 併設して海上自衛隊呉資料館 てつのくじら館資料館がありテーマパークの雰囲気です。

安芸灘大橋と牡蠣筏

駐車場は満車で警備が入れ替わりが多いから暫く待てば入庫出きる!と言われ時間待ちした。 退役した潜水艦も施設内に展示されている。 大和波止場では実際の大和の艦首までの上甲板が半分だけ公園化してあり、艦橋から見た感覚をつかめる。 海側の奥に大和建造ドック跡があった。 大和ミュージアムの海側は広い公園で潜水艇や水中翼船が展示してある。

ゆうしお型潜水艦あきしお





潜水調査船しんかい






駐車場からミュージアムの正面入口に向かう途中に戦艦陸奥の引揚品のスクリュー、舵、主砲、錨の実物が展示されている。 昭和18年6月、瀬戸内海の海軍柱島泊地にて謎の大爆発を起こし沈没した戦艦陸奥のスクリューと主舵、錨、主砲身が沈没地点が浅かった為、 これら一部装備が引き上げられた。 目の前に立つとその巨大さに驚きます。

戦艦陸奥のスクリューと舵

戦艦陸奥の主砲

大和ミュージアムのレンガ広場

正面入口

戦艦陸奥の主砲

戦艦陸奥の錨

大和ミュージアム案内板

戦艦陸奥の錨


レンガ広場で喫煙休憩し入館。夏の日差しが強い中、館内はエアコンが効いて気持ち良い。 この時期に訪問し8月15日の終戦の事実とその後の日本を考えて見たい。

呉の歴史と戦艦大和
大和ミュージアムの館内施設は1階から4階まで、テラスもあり子供達の遊戯施設もある。 そこでブロックに分けて館内を回ってみたい。 最初に呉の軍港としての歴史から始まり、巨大模型の戦艦群、大和の最後の出撃と海底に鎮座した状況を見学。 後に大和が完成するまでの経過を一部映画を撮影した部分もある。 映画はビデオは禁止たが撮影は了解を取った。

総合案内所

砲弾 左から九一式46p徹甲弾 46p三式弾
戦艦金剛型の蒸気ボイラー実物大の模型

1854年日米和親条約が締結

映画の要約…1854年日米和親条約が締結され、日本が開国した時代から映像が始まった。 欧米の新しい技術を取り入れ、新しい日本の文化が生まれる頃、呉に大きな港が軍港として開港した。 自動車もまだまだ開発途上の様子。呉港も段々整備されていった。 江戸時代後期の鉄船も欧米の物まねでスタートして、このような大型の船が造船できるようになる。 当時の街中はオート三輪、蒸気機関車などがあったが、生活では洗濯機、テレビ、冷蔵庫など無い時代に世界最大の戦艦を造り上げた。

江戸幕府から明治政府になり新制海軍が発足

呉軍港の発足

当時の自動三輪車

戦艦長門…後方から
鎮守府開設前の呉浦

戦中に呉港沖で沈座した戦艦陸奥

当時の呉軍港と町

戦艦長門…艦橋主要部

■戦艦長門…大和の登場まで日本で最大、最強であった戦艦。 戦艦陸奥は本艦型の2番艦。1920年竣工、世界初の40p砲を搭載し、40.6p(16インチ)連装主砲4基、全長225m、最大幅34m、39130t、最高速度25ノット。 模型は1/100の大きさ、細部まで精巧に造られている。プラモデルの比ではなく本格的なものです。
■一等巡洋艦 筑波…日露戦争初頭に主力の戦艦八島、初瀬が触雷沈没し、急遽、初の純国産で建造された。 主砲30cm連装2基、全長134m、最大幅22.8m、13750t、最高速度20.5ノット。
館内の様子を撮影したが、子供からお年寄りまで多くの人が訪れている。

戦艦長門…前部主砲

一等巡洋艦 筑波
賑わう館内

大和の主砲の模型

日本の技術を結集し造られた大和も役目を果たせず、最後の出撃の様子がパネルにある。 大和のその後を潜水艇が遺品や部品の一部を回収し展示されている。 中には戦争の悲惨さが強すぎ撮影を躊躇したものもあった。 大和が沈没し海底に沈座した様子を模型で展示してあり、船体にはいくつもの魚雷や爆弾の跡まで見れます。

遺品

大和の沖縄特攻

回収した15.5p砲の砲栓、消防ホース、伝声管

海底に沈座した大和の船体模型
大和進水記念風鈴

戦後の大和の調査

回収した12.7p高角砲の薬莢

当時の写真

戦艦大和…世界最大の戦艦を造る様子が4階のシアターで上映していた。その様子を一部、撮影したものを紹介。 戦後の日本の復興を支えた造船技術は、今、世界の海にその英知が大和から引き継がれている。

大和ミュージアムのメイン展示の1/10の戦艦大和。 全長は263mで模型の全長は26m。実際の諸元は全長263m、全幅38.9m、満載排水量72800tとされ、150000馬力の蒸気タービンで最高速度約27.3ノット。 世界最大の戦艦で乗員数は3300人であった。舷側の最大装甲厚さは410mm、そして水平中甲板部で最大230mm、 主砲塔防盾部(正面部)は650mmの装甲厚があった。

船底から船上まで多くのブロックで隔壁を造り、ダメージを少なくする技術は、戦後に大型船のタンカー造りに生きている。 7万トンを27ノットで走行させるエンジンも当時から世界レベルの技術です。 船体が出来上がり上部構造物の艤装にも多くの技術が注ぎ込まれた。 そして試運転に入り光学式測距儀も世界レベルの技術が使われた。

シアターの一部映像 当時の写真

船首上甲板は一部木材も…



光学式測距儀

大和艦橋



船底から船上まで多くのブロックで隔壁

ブロック化されたエンジン部



試運転の大和

弾着観測機



しかし、この巨大戦艦には電話は無かった。各部署への連絡は伝声管という筒状のもので指示のやり取りをしていたと言う。

日本の技術を総結集して造られた巨大戦艦大和だが、建造の技術は生き続け、戦後まもなく世界一の造船国へ発展したこと。 そして世界一の大型タンカー建造だけにとどまらず、自動車や家庭電化用品の生産など、 幅広い分野に応用され、戦後の日本の復興を支えてきた事実。


科学技術立国を目指す日本の将来を担う子ども達にその科学技術の素晴らしさを伝え、 過ちの無い未来に夢と希望を持ってほしいと思います。
シアターは上映時間が決まって、もう一つは今の日本の科学についても後半のWEBで紹介します。 この後、1/10の戦艦大和を見に行きます。

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