■ 呉の歴史と大和ミュージアム ■ 竹原駅前から大和ミュージアムまで国道185号線で約44kmの道程を瀬戸内海に沿って景観を楽しみながらドライブした。 安芸灘沿岸はいたる処に牡蠣の養殖筏が景観にアクセントをくれる。 呉市中心部手前の休山トンネルで渋滞があったほかはスムースに交通は流れ、大和ミュージアム駐車場に到着。 |
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安芸灘大橋と牡蠣筏 | | |
駐車場は満車で警備が入れ替わりが多いから暫く待てば入庫出きる!と言われ時間待ちした。 退役した潜水艦も施設内に展示されている。 大和波止場では実際の大和の艦首までの上甲板が半分だけ公園化してあり、艦橋から見た感覚をつかめる。 海側の奥に大和建造ドック跡があった。 大和ミュージアムの海側は広い公園で潜水艇や水中翼船が展示してある。 |
ゆうしお型潜水艦あきしお |
潜水調査船しんかい |
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戦艦陸奥のスクリューと舵 戦艦陸奥の主砲 大和ミュージアムのレンガ広場 正面入口 |
戦艦陸奥の主砲 戦艦陸奥の錨 大和ミュージアム案内板 戦艦陸奥の錨 |
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総合案内所 砲弾 左から九一式46p徹甲弾 46p三式弾 |
戦艦金剛型の蒸気ボイラー実物大の模型 1854年日米和親条約が締結 |
映画の要約…1854年日米和親条約が締結され、日本が開国した時代から映像が始まった。 欧米の新しい技術を取り入れ、新しい日本の文化が生まれる頃、呉に大きな港が軍港として開港した。 自動車もまだまだ開発途上の様子。呉港も段々整備されていった。 江戸時代後期の鉄船も欧米の物まねでスタートして、このような大型の船が造船できるようになる。 当時の街中はオート三輪、蒸気機関車などがあったが、生活では洗濯機、テレビ、冷蔵庫など無い時代に世界最大の戦艦を造り上げた。 |
江戸幕府から明治政府になり新制海軍が発足 呉軍港の発足 当時の自動三輪車 戦艦長門…後方から |
鎮守府開設前の呉浦 戦中に呉港沖で沈座した戦艦陸奥 当時の呉軍港と町 戦艦長門…艦橋主要部 |
■戦艦長門…大和の登場まで日本で最大、最強であった戦艦。
戦艦陸奥は本艦型の2番艦。1920年竣工、世界初の40p砲を搭載し、40.6p(16インチ)連装主砲4基、全長225m、最大幅34m、39130t、最高速度25ノット。
模型は1/100の大きさ、細部まで精巧に造られている。プラモデルの比ではなく本格的なものです。
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戦艦長門…前部主砲 一等巡洋艦 筑波 |
賑わう館内 大和の主砲の模型 |
日本の技術を結集し造られた大和も役目を果たせず、最後の出撃の様子がパネルにある。 大和のその後を潜水艇が遺品や部品の一部を回収し展示されている。 中には戦争の悲惨さが強すぎ撮影を躊躇したものもあった。 大和が沈没し海底に沈座した様子を模型で展示してあり、船体にはいくつもの魚雷や爆弾の跡まで見れます。 |
遺品 大和の沖縄特攻 回収した15.5p砲の砲栓、消防ホース、伝声管 海底に沈座した大和の船体模型 |
大和進水記念風鈴 戦後の大和の調査 回収した12.7p高角砲の薬莢 当時の写真 |
戦艦大和…世界最大の戦艦を造る様子が4階のシアターで上映していた。その様子を一部、撮影したものを紹介。
戦後の日本の復興を支えた造船技術は、今、世界の海にその英知が大和から引き継がれている。
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シアターの一部映像 | 当時の写真 船首上甲板は一部木材も… 光学式測距儀 大和艦橋 |
船底から船上まで多くのブロックで隔壁 ブロック化されたエンジン部 試運転の大和 弾着観測機
しかし、この巨大戦艦には電話は無かった。各部署への連絡は伝声管という筒状のもので指示のやり取りをしていたと言う。
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