■ 海洋国日本の建造技術 ■

各フロアから大和を撮影しながら、それぞれのコーナーにある展示も撮影しに行く。
先ず最初に1/10大和と1/100の大和の模型からスタート。 以降は市販している精巧につくられた各艦船から、ミニチュアの艦船まで、見応えのある模型コーナーがあり、楽しむ事ができる。 見ていて飽きない!

交換船…第二次世界大戦当時に、開戦により枢軸国、連合国双方の交戦国や断交国に取り残された外交官や駐在員、 留学生などを帰国させるために運航された船のことを云う。
…1/10 大和

…1等巡洋艦摩耶

戦艦長門
…1/100 大和

…1等巡洋艦高雄

交換船 当時の旅客船舶(鎌倉丸)

イ-176は呉工廠で10隻が建造され運用性を高めたが全て沈没した。 イ-401…呉海軍工廠で潜水艦技術の粋を集め建造された。 パナマ運河等攻撃用特殊攻撃機「晴嵐」を3機格納した。 当時世界最大の海底空母の潜水艦。1960年(昭和35年)にアメリカの原子力潜水艦が建造されるまで世界最大の潜水艦でした。 全長122m、最大幅12m、排水量3500t、最高速度は水上18.7ノット、水中は6.5ノット。

イ-176 イ-401は潜水空母と云われ当時世界最大

日本の艦船は手作り感がある。 アメリカの艦船は同じ型の大量生産が…、国力の違いが当時の指導者に判らなかった。 それでも日本は技術と工夫、精神力で戦い、大切な人を切り捨てた。
ミニチュアは専門店で販売しているものと同じで、ズラーと並んでいるのを見て、少年時代を思い出した。

航空母艦の準鷹と龍驤

赤城の飛行甲板



航空母艦の赤城

赤城の飛行甲板




潜水艦も性能か、静粛性か、本来ならば両者を求めて当然だが…当時の潜水艦の役割は国の戦略、運用の仕方で欧米と日本では正反対の運用であった。 連合国は潜水艦で通商路と貨物船の破壊を主戦とし、日本は艦隊決戦の補助兵力として特攻兵器を積んだり、いろいろな型式の潜水艦が造られた。 しかし日本の潜水艦は大きな戦果を挙げられ無かった。


駆逐艦雪風は大戦中、各地を転戦したが最後まで残存し栄光の駆逐艦と云われた。
1等巡洋艦最上…15.5p3連装主砲5基の軽巡から20.5p連装5基の重巡となり、事故損傷を機に写真の航空巡洋艦に改装された。 20p連装主砲3基、全長201m、最大幅20.5m、12300t、最高速度34.7ノット、搭載飛行機数11機。

駆逐艦雪風

1等巡洋艦最上

1等巡洋艦高雄

戦後造船された日精丸は238517tで大和の3倍以上、長さ378.85mは大和より100m以上長く巨大な海の波を受ける力に耐える船体は大和から受け継がれていた。 日本の創意工夫の技術開発は今後も続く。

日精丸…25年に渡り石油輸送に活躍した日精丸だったが、船体構造が二重構造(ダブル・ハル)になっていなかったために 国際海事機関の定める規定で使用不可能になり、他国へ売却後2003年に解体された。 建造方法が従来の足場を組んで作業する方法から自動溶接機を搭載した組み立てユニットで自動的に作業する方法に変更し大幅に省力化され完成。
これらの技術が戦後日本の復興の原動力となり、新たな技術も開発され日本の高度経済成長へ繋がる。

日本船籍史上最大の船舶







日精丸は鹿児島県の日本石油基地と中東地域を結び、2000年の退役まで大量の石油エネルギーを輸送した。 その間、イラン・イラク戦争に対応して石油公団の洋上備蓄船になったり、ホルムズ海峡でミサイル攻撃を受けたり、 ベトナムから避難していたボートピープルを救助するなど、多彩な活躍をした船歴がある。

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