■ 航空機の夜明けと潜水艦技術 ■

1/10大和の隣にゼロ戦や小型潜水艇のエリアがある。 さっそく全体の景観を撮影して見学。
ゼロ戦で思う事…展示されているゼロ戦の正式名称は零式艦上戦闘機六二型の呼称です。 WEBで「ゼロ戦」と検索するだけで雨と霰のようにWEBサイトがでてくる。 それほど「ゼロ戦」は日本人の心の中に浸みこんでいる?「ゼロ戦」があまりにも名機ゆえに固辞しすぎた。


歴史は繰り返す…鎌倉時代の武士の戦闘から戦国時代の集団戦闘に転換した時も乗り遅れた大名は消えていった。 ゼロ戦はプロペラ機としては優雅な機体だが、当時の技術では量産に向かない機体設計でした。 1対1の格闘戦闘から時代は集団戦闘に変わり、 防弾機能を持たないのは裸で万歳突撃するのと同じ思想だ。

ゼロ戦や小型潜水艇のエリア

主翼にある20mmと13.2mm機銃

栄31甲型空冷14気筒エンジン



…20mm機銃(奥側)と13.2mm機銃(手前)

空冷複列星型14気筒のエンジン





ゼロ戦の操縦席は狭い

翼端は丸いが型で異なる

上方から見た操縦席と主翼



電熱手袋、飛行眼鏡、防風面は必需品

真正面からの優雅な機体






大戦初期、長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めたことから、 当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた。 しかし大戦中期以降、連合国側新鋭機の大量投入や日本側のベテラン搭乗員の損失からその戦闘力の優位は失われた。

連合国は人を重視し乗務員は救助される事が多かった。 帰還できれば新しい航空機でまた出撃でき、乗務員の技量は上がり日本とは対照的でした。 ここからは模型展示コーナーになり各機種の展示があった。

ゼロ戦の模型

零式水上偵察機 艦船に搭載

…97式3号艦上攻撃機
反対側は内部構造



…92式艦上攻撃機(複葉機)

その他に各種飛行機が生産された。 最初は飛行艇で、海上を離発着できる優れモノです。 以降、艦上爆撃機、局地戦闘機も展示してある。

91式飛行艇…全金属製の単葉高翼式の双発エンジンで最高速度112qと大空を舞うような機体です。
89式飛行艇…全金属製で複葉式双発エンジンで最高速度196qと91式よりは速い。
艦上爆撃機彗星…全金属製で性能は良かったがエンジンの生産品質が悪く故障が多かった。当時の日本の工場では生産に無理があったと云われている。
局地戦闘機紫電改…紫電を改良したもので航続距離を少なくして他の性能をアップしアメリカの戦闘機と対等に戦えたと云う。

…91式飛行艇

艦上爆撃機彗星

紫電改
…89式飛行艇

艦上爆撃機彗星

紫電改

ゼロ戦と一緒に小型潜水艇が展示され、ここからは小型潜水艇の紹介。
回天は旧日本海軍の特攻兵器で九三式三型魚雷(酸素魚雷)を改造し人が乗り操縦できるようにした人間魚雷。 一型、二型、四型、十型と四種類が生産されたが、操縦や索敵、運用が難しかった。 特殊潜航艇海龍(甲標的)は搭乗員が乗り、大戦末期、日米の工業力の差から戦局を打開するためには有人の水中兵器を主体とした特攻による敵艦隊撃滅以外にはないと提唱したが、 海軍は当初生還の見込みの無い出撃は許可しないとした。 そして1944年2月に「乗員の脱出装置なしでは兵器として絶対に採用しない」との条件付で試作が認められた。

回天十型…九二式電池魚雷を中央部で切断し操縦室を挿入した簡易型回天。生産が間に合わず、実戦に参加することなく終戦を迎えた。



回天十型の全景


回天十型を後から撮影

特殊潜航艇海龍は世界初の有翼潜水艇で水中を飛行機のように自由に潜航、浮上することを目指して開発されたが設計通り生産できず終戦を迎えた。 胴体の両脇に酸素魚雷を抱え、発射後は本体で体当たりする特攻兵器になってしまった。





上から見た飛行機のような特殊潜航艇海龍

各国が研究した酸素魚雷は日本だけが実用化した。 特殊潜航艇海龍と九三式酸素魚雷(日本の最高機密で航跡の残らない恐怖の魚雷として世界から恐れられた。) しかしながら機関の整備には慎重な取り扱いを必要とした。

九三式酸素魚雷 尾部から見た九三式酸素魚雷

各エリアの見学を終わった。 最上階のシアターでは戦後の日本の進むべき道として、科学技術立国 日本 きぼうと未来の宇宙へ、のシアターが始まった。 館内には上映時間が間近になり続々と人々が集まってきた。

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