■ ふいご峠から備中松山城大手門へ ■

東京を夜半出発し一路山陽路へ…と、思ったら東名道の日本平手前で事故による通行止めで、一旦、国道に出て迂回して再び東名道へ入り走ります。 40年以上の運転歴ですが、遠距離で途中下車は初めてだった。 私達も安全運転を心掛け、ひたすら岡山県高梁市へ向かった。
吉備サービスエリアで仮眠をとり、岡山JCTから岡山道に入り賀陽ICで下り、早朝の午前7時に城見橋公園駐車場に到着。


城見橋公園駐車場では管理員の車しかなく、管理員がシャトルバスの時間帯ではないので、 この上のふいご峠の駐車場まで行きなさいと声を掛けてもらった。
道路が狭いから帰りにはシャトルバスかタクシーの車両の後ろについて降りてくれば、 途中、鉢合わせになってもここの人達が誘導してくれるから心配せず楽しんで下さいと云われて嬉しかった。 城見橋公園の待合室の軒下には燕の巣があった。 そしてふいご峠の駐車場では一般車はここまで…。 撮影していたら、管理人の車がゲートを開けて通過して行った。 私達が早いので驚いた様子。










備中松山城…岡山県、高梁市街地の北方に臥牛山(がぎゅうさん、標高480m)が聳えている。 北から、大松山、天神の丸、小松山、前山と4つの峰が連なっている。 南から見た山容が草の上に伏した老牛の姿に似ているとして、老牛伏草山、臥牛山などと云われている。 その城郭域はこの4峰の頂きを中心に全域に及んでいる。 愛媛県松山市の松山城との混同を避けるために、一般的には備中松山城と呼ばれている。 日本国内の現存する天守がある12城のうちの一つです。

城郭域の案内図

愛車を角々のやや広いエリアに駐車、付近の景観を撮影し登城ハイキングの準備をする。 リュックに水のボトルやタオルを詰め込み準備万端! 現在午前8時。ここから妻は杖を準備して出発、スタートは一度下ってから登城路へ入る。 林のトンネルの中のように日差しが防げて歩きやすい。

登城の入口には杖が








登城路の途中には100m毎に案内板があり、距離感がつかめて安心。 樹木の間から日差しが入り、今日も暑い日になりそうだなぁ! 東京から寝不足でハイキングだから身体の変調には注意しゆっくりと登る。

この辺から「登城心得」なる案内板があり、高梁市の心配りが窺えた…「あわてず、ゆっくり歩むべし」。
備中松山城の城域…城のある臥牛山は4つの峰からなり、小松山に本丸、二の丸、三の丸が階段状に配され、 さらに大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。 海抜約430mの臥牛山、小松山山頂の本丸へは、麓から1時間強ほどの道のりで山道を登る。 途中に城見橋公園、ふいご峠のパーキングエリアがあり、城見橋公園からはシャトルバスが運行している。










石段や砂利道が登城の高揚を高めてくれる。途中、見晴らしのきく処から夏の風物詩棚田が見えた。 小さいながらも緑の稲穂が非常に印象的です。
登城心得…この先足元悪しきにつき、気をつけて歩むべし。…案内板の通り登城路が急坂になった。 いつもなら何でも無い坂道だが、睡眠不足で身体が云う事を効かない! 急ぐ旅路ではないし、ここで休憩。 丁度、石垣がある処でベンチもあるが、そこは日差しが強いから日陰で休憩。妻も後方から少し遅れてゆっくり歩んできた。







中太鼓櫓跡






中太鼓櫓跡(標高355m )に残る石垣は、本丸城域と山麓の御根小屋との中間にあり、登城や有事の際に太鼓で連絡する中継所の一つです。 大手門跡まで半分を過ぎた。この辺りは「猪などの獣害で注意」の案内板がある。 「本日の登城大儀であった。」ここからは道が二手に分かれ一方はさらに上方の城郭へ行ける。 私達はそのまま大手門跡を目指して登った。もう少しです。







中太鼓櫓跡





突当りが大手門跡

大手門跡に到着した。ここから見る大手門跡は両側を大きな石垣で築きあげ、今ないが両端の石垣の上部には大きな大手門櫓があった。 下から見上げると私達に覆いかぶさるように、侵入を阻まれるようです。 巨大な難攻不落の要塞を感じた。

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