■ 大手門から二の丸櫓門へ ■ 山登りが終わったという安堵感と、これから400年前の山城を見れるという期待感が膨らみます。 自然の岩盤の上に築かれ、そして外敵の侵入に備えて峻険に聳える高石垣、この堅固さは圧巻です! ただただ感動ものです。 大手門の石垣跡前に立ち瞑想してみた。 石垣上には大手門櫓が建ち、行く手に立ち塞がるような城郭が出現した。 |
大手門を入ると内枡形構造で、周囲をさらに巨大な石垣が囲み外敵の侵入を防ぐ構造になっている。 大手門内側には上番所、下番所とあり、城郭の正面の守りの強さが窺える。 |
大手門前 |
石垣崩落の危険性…大手門跡の後方にそそり立つ巨岩と、その上にのる厩曲輪石垣は圧巻ですが、
巨岩の割れ目に侵入した樹木の成長により、割れ目が次第に大きくなっている。
更に巨岩の上に載る石垣の重みで岩がズレを生じていた。
この影響で上部の石垣が変形しつつあり、将来、崩落する危険を孕んでいる。
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三の平櫓東土塀(国重文) | 二の平櫓跡…大手門櫓から続いている櫓 |
三の平櫓東土塀は土塀全体が重要文化財でなく、一部は復元したものです。
三の平櫓東土塀の処から高石垣群を撮影してみた。
此処からでも、まだ見上げているような景観です。
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三の平櫓東土塀(国重文) 三の丸の景観 | |
三の丸の迫力ある高石垣群 三の平櫓跡 黒門跡 |
備中兵乱 天正2年(1574年)に興味が沸き歴史を探訪してみた。 |
厩曲輪入口 | | |
厩曲輪は上方に二の丸があり、下方には三の丸がある。 それ程広いエリアではないが視界がよく見渡せる。 また奥には重要文化財の土塀が修復されていた。 大手門から主要な撮影ポイントを見続けてきて強い日差しを避ける意味で、此処の日陰は小休憩には丁度良く石段に腰掛けた。 小休憩を済ませ、先に進み黒門跡は長い石段の中腹にあり、ここだけ1間ほどの平坦部分がある。 映像では石段の両側に四角い四方の大き目の石があり、ここに門が建っていたと思う。 |
厩曲輪 黒門跡 | |
| 黒門跡の上方の景観 御膳棚曲輪跡 |
黒門跡を登ると左手に御膳棚曲輪跡があり、現在はトイレがある。 御膳棚曲輪跡を通過して二の丸手前から右手方向の視界が開ける。 ここからは厩曲輪、三の丸、三の平櫓、東土塀、大手門そして高梁市内が見渡せる。 石段を登りきると二の丸櫓門跡前に到着。この付近も見晴らしが良く眼下の視界が開けている。 |
| 二の丸櫓門跡からの本丸 |
二の丸櫓門跡 与謝野 寛(鉄幹)の句 |
二の丸櫓門跡前で二の丸を覗くと本丸の備中松山城がチラッと見える。 はやる心を抑えて二の丸周辺を探ると与謝野 寛(鉄幹)の句が石柱あった。 二の丸入口の石垣は厚く、門跡も角石が大きく、門が大きかったことを想像させてくれる。 |
二の丸櫓門跡 二の丸櫓門跡 |
| 二の丸櫓門跡から見る本丸 |
二の丸に入った。門跡から見る備中松山城本丸は400年前の姿を見せてくれた。 WEBで見た映像と実際に見た映像が重なり、嬉しさ倍増。 |
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