■ 耕三寺って? 山門から孝養門、本堂、千仏洞地獄峡 ■
午後1時前に尾道市内からしまなみ海道で生口島北ICまで行き、耕三寺前に到着したのが1時半。 土曜日で混雑を予想したがスムースに車は流れ快適なドライブ。 瀬戸内の景観も申し分無かったが適当なパーキングが無く映像は撮れなかった。
ガソリンの残量が残り1/4で島に渡る前に給油する予定たが、 テッパンで満腹状態ですっかり忘れ生口島に入ってから気が付き、G-Linkで教えても貰い無事給油完了。 これで帰りに満タンにすれば東京に戻れる!


耕三寺の駐車場に入れ平山郁夫美術館脇を通り過ぎ、狭い門前町のような処に耕三寺の入口がある。 この時、平山郁夫の生誕地が瀬戸田町と初めて知った。

耕三寺前の通り



潮聲閣の月光門の朱色にびっくり!

潮聲閣は耕三寺建立の原点の建物で書院造の日本家屋と洋館に分かれた大邸宅で耕三和上が大阪で事業を営み成功した当時、 故郷の瀬戸田に住んでいた母親の老後を気遣い、今までの恩に報い建築した。
朱色の月光門を通り過ぎると耕三寺の正門前に到着。 こちらも色彩鮮やかな門構えでWEBで見た通り、お寺全体が色彩に彩られている。

山門(国有文)(鋼鉄製) 山門…京都御所、紫宸殿の門と同じ様式

耕三寺は尾道市瀬戸田(生口島)にある浄土真宗本願寺派の仏教寺院で山号は潮聲山。 1936年から建立が始められた寺院で日本各地の古建築を模して建てた堂塔が建ち並び、 「西の日光」とも呼ばれる。 山門、本堂をはじめ15の建物が国登録有形文化財として登録され、お寺全体が博物館法による博物館です。

中門の両側には耕三寺博物館と浄土真宗 潮聲山 耕三寺の看板があり、法隆寺の西院伽藍(楼門)を原型にして、耕三寺独特の装飾が施してある。 山門の扉も、とても鋼鉄製には見えず、当時の鉄の加工技術レベルを知る事ができる。




万葉の庭



中門をくぐると正面には礼拝堂と入館の受付があり、団体と一緒だった為、混雑回避のため暫く待ち、収まるまで羅漢堂の内側の万葉の庭など撮影。
 
中門を内側から撮影

礼拝堂は桃山時代の建築様式で建立され、彩色や装飾は耕三寺独自の堂塔で観世音菩薩が安置されている。 礼拝堂の脇から境内に入ると中央に洗心水があり、ここで清める。 耕三寺を眺めると山に向かって三段の境内になり、左右が対称に堂宇が建てられている。 下段の境内は羅漢堂や潮聲閣、仏宝殿、迎賓館などが建立され寺務所も此処にあり敷地としては一番広い。

礼拝堂

洗心水

羅漢堂東
万葉の庭

鐘楼(鐘)…反対側に鼓楼(太鼓)

境内内側から見た礼拝堂

礼拝堂から階段の上に聳える五重塔を見上げた。正面の石段を登り中段の境内から下段の境内を眺めた。
五重塔(大慈母塔)…境内中段の中央に建立され本堂と孝養門と結ぶ建物の軸線を直線に揃え、 本堂と塔が前後に並び建つ、四天王寺式の伽藍配置です。中段の境内の中心的建築物です。…(耕三寺案内より)

僧宝蔵と法宝蔵…五重塔の両側に配置された蔵で、外観は大阪の四天王寺の金堂を模しているが、 内部は実用的な造りで展示や催し物にも使われる。

映像は妻の撮影

中段の境内から見える鐘楼

中段の境内からみた礼拝堂

僧宝蔵

五重塔を撮影後、上を見ると真っ赤な紅葉が鮮やかでその背景に孝養門があった。
僧宝蔵、法宝蔵、五重塔と中段の境内の撮影も終わり、次の上段の境内に向かう。 その石段の正面に迎えてくれるのが孝養門です。

孝養門…日光東照宮陽明門を模した建築で昭和28年に文部省にあった図面を入手、以来10年の歳月をかけ完成。 全体的に酷似しているが各部の装飾の彫刻と彩色では、まったく異なり耕三寺独自の装飾です。

孝養門を正面からの撮影は位置的に困難だが各部分の装飾を撮影。 孝養門左右にある仏像は鬼のような形相でなく、やさしい顔の仏様です。 そして上方には龍や獅子が孝養門を守るような形相で構えている。 こうして見ると、部分だけ捉えると日光東照宮陽明門とは別物と思った。 極彩色で装飾された孝養門は正面からは入れず両脇の小門から上段の境内に入った。











この構図は後程撮影








中段の法宝蔵とモミジを重ねて

孝養門に続く東回廊

上段の境内では鮮やかな紅葉に彩られ耕三寺の極彩色を盛り上げている感じ。 孝養門で後から来た団体と混じってしまい思うように撮影が出来ない。 案内役の人を先頭にお年寄りのグループが通り過ぎてゆくのを待つ。

孝養門から本堂(中堂、東西翼廊、尾廊)そして千仏洞地獄峡へ、お年寄りの団体の最後尾について上段の境内に入った。 まず、団体が散らばらないうちに撮影。 現在2時を過ぎ、しまなみ海道(大三島)から逸れて大崎上島に渡るフェリーの時間(午後3時50分発)から残りの時間を確認。 あと1時間半は余裕がある。 ここでも建物が左右対称だ。大理石造りの大礼壇を囲むような景観です。 本堂前では団体の記念撮影をするカメラマンが準備をしていた。

孝養門の東回廊

孝養門の東回廊

孝養門(内側から撮影)


大理石造りの大礼壇

本堂東翼廊

後側で団体の賑やかな声を聞きながら本堂や孝養門を手際よく撮影。
本堂(中堂、東西翼廊、尾廊)国登録有形文化財…
京都宇治平等院の鳳凰堂を原型として建立され、中央に中堂、左右対称形に翼廊を配し、中堂の背後に尾廊が建てられている。 極彩色を施し入母屋の屋根、切妻、寄棟、腰屋根をはじめ、肘木垂木の大面取など、 仏教建築の最高峰と云われる藤原時代の様式を取り入れていることが最大の特徴。…(案内書から)

千仏洞地獄峡…耕三寺に来て千仏洞地獄峡を知った。 上段の境内に入り団体の人達が撮影中にだんだん少なくなった。 皆さんが洞窟の入口に吸い込まれていく。

本堂(中堂、東西翼廊、尾廊)国有文

千仏洞地獄峡…
入口は本堂の西側にあり、出口は救世観音大尊像そばにある。 地下約15m、全長350mにおよぶ洞窟が続き、富士山の熔岩と浅間山の焼石を鉄筋コンクリートで固めて造った。 途中の3ヶ所に高さ10mに及ぶ広いエリアがあり、石造の仏諸尊が数多く祀られていた。 滝が流れ落ちる処もあり、洞窟には地獄極楽絵図が数多く掲示してあった。…(案内書から)

孝養門

千仏洞地獄峡

妻と静かになった洞窟に入って行く。 どこまで下に下りて行くのかなぁ?と思い進んで行くと洞窟の照明がだんだん暗くなる。 真っ暗な中に灯りが見えて、そこで見たのは、「佛」覚者、と記した仏様の絵でした。 …この時はビックリしたより、嬉しい気持ちがしました。

「佛」覚者にお参りして、更に進むと通路から洞窟に変貌。 周りを見ると様々な形の仏像だらけで仰天びっくり! 洞窟内に滝があり、川があり、橋もある。 鍾乳洞に入った感じ。 洞窟が少しずつ登りになり、天井が高くなった。 天井には何の意味かわからないが装飾されている。 お堂を出ると日が眩しく、出てびっくり救世観音大尊像の足元にでた。









飾られた天井




「佛」覚者…(撮影者 妻)



その先に洞窟内にお堂がある

美しい女神像は鮮やかな色彩で、やや前傾した形は慎ましい思いがした。 妻も驚いた様子で千仏洞地獄峡は本堂の真下にあり、そこを通ってきたことになる。

救世観音大尊像…
本堂東翼廊の左、八角円堂の後方に建立されている、 法隆寺夢殿の秘仏救世観音を模した像で、高さが10m、台座からは15mの像です。 鉄筋コンクリートで固めた基礎の上に鉄骨を組み、コンクリートと漆喰を併用し、 肉付けした上に塗装しているもので、この工程による仏像の建立は、他に例がなく鉄の加工技術を使った技法とのことです。
救世観音大尊像から本堂、中堂、東西翼廊、尾廊をもう一度見学します。

釈迦如来坐像(本堂東翼廊)
境内東側の信楽殿は講堂として建立

信楽殿の内側にある孝養門の東回廊
本堂(中堂、東西翼廊、尾廊)国有形文化財

孝養門

数百年に亘って信仰の対象となっていたものが、何故、今、耕三寺にあるのか? その大きな要因は明治時代に断行された廃仏毀釈にある。 当時、この政策によって経済的に困窮した寺院は多くあり、秀逸な仏像でさえ、 競売にかけられることが頻繁に起こり、明治時代に諸寺院から流出した仏像が巡り巡って耕三寺に辿り着いたと考える。 海外に流出されるよりは、成功した事業の利益をこのような形で使い公開する事は、自分さえよければの風潮の中、見直した思いです。

正面から孝養門を撮影

本殿の西翼廊
孝養門と西回廊

再度本堂を撮影

古来から日本文化に溶け込んだ仏教、それらに関わる数々の文化財は、かつての人々の信仰、想いが伝わり、 現在に至るものが全国各地にある。 ここ耕三寺にも数多くの文化財が展示公開されている。 文化の博物館として十分役割を果たしていると思う。

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