■ 耕三寺って? 山門から孝養門、本堂、千仏洞地獄峡 ■ |
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耕三寺前の通り | | |
潮聲閣の月光門の朱色にびっくり! |
潮聲閣は耕三寺建立の原点の建物で書院造の日本家屋と洋館に分かれた大邸宅で耕三和上が大阪で事業を営み成功した当時、
故郷の瀬戸田に住んでいた母親の老後を気遣い、今までの恩に報い建築した。
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山門(国有文)(鋼鉄製) | 山門…京都御所、紫宸殿の門と同じ様式 |
耕三寺は尾道市瀬戸田(生口島)にある浄土真宗本願寺派の仏教寺院で山号は潮聲山。
1936年から建立が始められた寺院で日本各地の古建築を模して建てた堂塔が建ち並び、
「西の日光」とも呼ばれる。
山門、本堂をはじめ15の建物が国登録有形文化財として登録され、お寺全体が博物館法による博物館です。
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万葉の庭 |
中門をくぐると正面には礼拝堂と入館の受付があり、団体と一緒だった為、混雑回避のため暫く待ち、収まるまで羅漢堂の内側の万葉の庭など撮影。 中門を内側から撮影 |
礼拝堂は桃山時代の建築様式で建立され、彩色や装飾は耕三寺独自の堂塔で観世音菩薩が安置されている。 礼拝堂の脇から境内に入ると中央に洗心水があり、ここで清める。 耕三寺を眺めると山に向かって三段の境内になり、左右が対称に堂宇が建てられている。 下段の境内は羅漢堂や潮聲閣、仏宝殿、迎賓館などが建立され寺務所も此処にあり敷地としては一番広い。 |
礼拝堂 洗心水 羅漢堂東 |
万葉の庭 鐘楼(鐘)…反対側に鼓楼(太鼓) 境内内側から見た礼拝堂 |
礼拝堂から階段の上に聳える五重塔を見上げた。正面の石段を登り中段の境内から下段の境内を眺めた。
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映像は妻の撮影 中段の境内から見える鐘楼 |
中段の境内からみた礼拝堂 僧宝蔵 |
五重塔を撮影後、上を見ると真っ赤な紅葉が鮮やかでその背景に孝養門があった。
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| この構図は後程撮影 |
中段の法宝蔵とモミジを重ねて 孝養門に続く東回廊 |
上段の境内では鮮やかな紅葉に彩られ耕三寺の極彩色を盛り上げている感じ。
孝養門で後から来た団体と混じってしまい思うように撮影が出来ない。
案内役の人を先頭にお年寄りのグループが通り過ぎてゆくのを待つ。
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孝養門の東回廊 | 孝養門の東回廊 孝養門(内側から撮影) |
大理石造りの大礼壇 本堂東翼廊 |
後側で団体の賑やかな声を聞きながら本堂や孝養門を手際よく撮影。 |
本堂(中堂、東西翼廊、尾廊)国有文 千仏洞地獄峡… |
孝養門 千仏洞地獄峡 |
妻と静かになった洞窟に入って行く。
どこまで下に下りて行くのかなぁ?と思い進んで行くと洞窟の照明がだんだん暗くなる。
真っ暗な中に灯りが見えて、そこで見たのは、「佛」覚者、と記した仏様の絵でした。
…この時はビックリしたより、嬉しい気持ちがしました。
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| 飾られた天井 |
「佛」覚者…(撮影者 妻) その先に洞窟内にお堂がある |
美しい女神像は鮮やかな色彩で、やや前傾した形は慎ましい思いがした。
妻も驚いた様子で千仏洞地獄峡は本堂の真下にあり、そこを通ってきたことになる。
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| | 釈迦如来坐像(本堂東翼廊) | | |
境内東側の信楽殿は講堂として建立 信楽殿の内側にある孝養門の東回廊 |
本堂(中堂、東西翼廊、尾廊)国有形文化財 孝養門 |
数百年に亘って信仰の対象となっていたものが、何故、今、耕三寺にあるのか? その大きな要因は明治時代に断行された廃仏毀釈にある。 当時、この政策によって経済的に困窮した寺院は多くあり、秀逸な仏像でさえ、 競売にかけられることが頻繁に起こり、明治時代に諸寺院から流出した仏像が巡り巡って耕三寺に辿り着いたと考える。 海外に流出されるよりは、成功した事業の利益をこのような形で使い公開する事は、自分さえよければの風潮の中、見直した思いです。 |
正面から孝養門を撮影 本殿の西翼廊 |
孝養門と西回廊 再度本堂を撮影 |
古来から日本文化に溶け込んだ仏教、それらに関わる数々の文化財は、かつての人々の信仰、想いが伝わり、 現在に至るものが全国各地にある。 ここ耕三寺にも数多くの文化財が展示公開されている。 文化の博物館として十分役割を果たしていると思う。 |
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