■ 古い町並み御手洗 ■ いつもお世話になっている義兄夫婦と日帰りの散策をプランした。 早朝からお弁当を準備して準備万端! 御手洗は呉市に編入した瀬戸内の島で、現在では島々が橋で繋がり、手軽に行き来できる様になった。 そして御手洗には古い町並みがあり、以前から興味を持っていたので、今回訪れてみた。 |
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庭先に咲く花 | フェリー乗り場(乗車券売り場兼待合室) |
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御手洗の町を守る防波堤…江戸時代に築造された大きな波止場で「千砂子波止」と呼ばれている。 その時代から御手洗が瀬戸内海の海運ルートの中継地として発展した。 |
高灯篭 |
港から駐車場を探し千砂子波止まで到着し、
脇坂屋のお土産店の駐車場に車を止め、お店に行くと観光客で賑わっている。
ここでは御手洗町の観光案内図を配布し、元気なお兄さんが話しかけてきた。
…街中の案内を暫く聞いたが、いつまで経っても話が終わらない!
熱心に細かく教えてくれるのはありがたいが10分も経つと閉口。
…という訳で、ここから古い街中の散策。散策日和で丁度よい。
海岸沿いにある住吉神社前のバス停前は道が広く、小奇麗な日本家屋を撮影!懐かしさを感じる雰囲気。
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安芸灘とびしま海道 中々話が終わらない! 御手洗散策絵図 | |
| | | 江戸時代の千石船 |
船宿なごみ亭…江戸時代の雰囲気の船宿は旅館というより仲買問屋もかねていた。 171pの私が屋根瓦に手を沿えるぐらい低い軒で、江戸時代の一般家屋の高さがわかる。 船宿を過ぎ教えてもらったコースは海岸から離れ奥に入った。 街中の中心に大東寺が見えてきた。 比較的新しい建物で、その向かい側には壁の剥がれかけた家も混在している。 |
船宿なごみ亭 |
大東寺 |
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大通りから一歩街中に入ると道が狭い! |
大正時代の雰囲気の建物 |
七卿落遺跡…幕末の混乱のなか三条実美ら5人の公家は幕府派の追っ手から逃れるため、長州へと向かった。 その時、御手洗で船の風待ちをし、ここの庄屋竹原屋に宿泊した。…(案内書から) という訳で海岸通りに面したこの日本家屋を庭のほうから見学!石碑や説明板を読んで納得! 立派な屋敷ではないが門扉なども保存。 庭のほうからは小さく感じたが、正面玄関へ回ると平屋と思ったが2階建てです。 県指定史跡で今後も大切に保存して欲しいものです。 |
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| | 恵美須神社 |
七卿落遺跡と恵美須神社は御手洗町の突端にあり、海に突き出ているような街並みです。
江戸時代は山から海岸までの幅が少なく、年代ごとに少しずつ埋め立てが行われたようで、
昔の護岸跡の石垣が街中にあると説明を受けた。
船着場が少しずつ沖に向かう地形に、御手洗町が出来た。
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| | | | 越智医院 |
大正時代の雰囲気の洋館から再び恵美須神社へ回り込んだ処に素敵な日本家屋を発見し撮影。 気がついたら皆とはぐれてしまい、思わず「ヤバイ!」…路地をウロウロしながら妻を捜す。 …再合流した。撮影に夢中になると思い込みが強いから。(こんな性格だから山梨の西沢渓谷で滑落事故を起したのかもしれない!) |
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タバコ店であり、雑貨店であり何でも揃う店 |
乙女座跡を通り過ぎると路地の角に昔懐かしい看板を見つけた。
看板には「国定教科書取次販売所」とあり、昭和時代の学校では、
このような看板のある処で新年度教科書を親から購入してもらった記憶がある。
小学校の頃は文房具店でしたが、地方ではタバコ店であり、雑貨店であり何でも揃う店のようです。
見たところ現在は営業していない。
タイル張りのショーウィンドゥも懐かしい景観。
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マップによると松浦時計店と案内があるが看板は新光時計店とある。 名刺を戴いたら屋号は「新光時計店」でした。 お店の中に入ると正面に大時計が時を刻んでいた。 「これが日本一古い大時計」思わず感嘆! 古いイメージは無く、木目も磨き上げられ、時計内部だけでなく、外側も綺麗です。 …コチ、コチ、コチ。振り子が動くたびに正確な機械の動きが感じられる。 |
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常盤町の街並み | お食事処は準備中 | |
常盤町の街並み…連れを発見! 御手洗の昔の写真が複製で掲示 |
この通りがちょっと素敵。路地の雰囲気もなかなかいいでしょう。 次は前後左右見ても、古い町並みが続き、ご覧のようにいい感じ。 その中心に潮待ち館がある。ここは豊町観光協会が運営していて、 お土産販売コーナー、喫茶休憩所があり、観光案内の受付をしている。 |
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潮待ち館 |
潮待ち館前にいる人は犬を連れての散策。 この時は何も思わなかったが、後で昼食の時に寄った処で再び逢った。 九州から車で観光に来ているとの事です。 私達は案内図を半分ほど回った処で、義兄さんが休憩をとりたいというので、 この隣に「旧菊伝」という建物の中が見学できる所があり、そこで休憩。 |
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