■ 古い町並み御手洗 ■

いつもお世話になっている義兄夫婦と日帰りの散策をプランした。 早朝からお弁当を準備して準備万端! 御手洗は呉市に編入した瀬戸内の島で、現在では島々が橋で繋がり、手軽に行き来できる様になった。 そして御手洗には古い町並みがあり、以前から興味を持っていたので、今回訪れてみた。


出発の日は快晴で、お婆ちゃんが育てた花が開花し、ご覧のように青空に美しさを見せてくれた。 義兄夫婦、私達4人でいざ出発進行! 大崎上島から大崎下島へ渡るフェリーがある。 フェリーは小型で島々間を繋ぐ住民の足としてなくてはならない交通機関です。 フェリー乗り場では防波堤に釣り人がいた。

庭先に咲く花

フェリー乗り場(乗車券売り場兼待合室)






フェリーは僅か15分で料金は2650円。明石港から小長まで運行。 小長と記して「オオチョウ」とも呼ぶ! 昔、ここに来た時に、向こうの島の「オオチョウ」を聞き、首を傾げた事があった。

小型フェリーは朝日を浴びて順調に進んだ。 逆光ですがあの橋をくぐる。義兄に聞いたら島々の橋は農道として架けられたという。 立派な橋梁で、この地の人々の大切な交通手段。 江戸時代はこうした島々はどうしても孤立しやすく、文化も独特のものになりやすい傾向にあるのではないかと思った。 橋をくぐり御手洗港に到着。 海岸に沿って細い道を走り気づいたことは海面と道路の差が50pも無い! しかも防波堤が無く台風や大潮の時は水没の危機に吃驚した。





御手洗の町を守る防波堤…江戸時代に築造された大きな波止場で「千砂子波止」と呼ばれている。 その時代から御手洗が瀬戸内海の海運ルートの中継地として発展した。






高灯篭

港から駐車場を探し千砂子波止まで到着し、 脇坂屋のお土産店の駐車場に車を止め、お店に行くと観光客で賑わっている。 ここでは御手洗町の観光案内図を配布し、元気なお兄さんが話しかけてきた。 …街中の案内を暫く聞いたが、いつまで経っても話が終わらない! 熱心に細かく教えてくれるのはありがたいが10分も経つと閉口。 …という訳で、ここから古い街中の散策。散策日和で丁度よい。 海岸沿いにある住吉神社前のバス停前は道が広く、小奇麗な日本家屋を撮影!懐かしさを感じる雰囲気。

ここは船宿跡の三軒長屋では店先に昔懐かしい道具が並び、店内では船大工の宮本さんが船大工ならぬ、模型の船を制作していた。 船の製作も奥の壁に設計図が貼ってあり、本格的なもので近くで見ると精巧に出来ている。 展示品は値段が表示されていなかったが売り物のようだ。

安芸灘とびしま海道


中々話が終わらない!


御手洗散策絵図


















江戸時代の千石船

船宿なごみ亭…江戸時代の雰囲気の船宿は旅館というより仲買問屋もかねていた。 171pの私が屋根瓦に手を沿えるぐらい低い軒で、江戸時代の一般家屋の高さがわかる。 船宿を過ぎ教えてもらったコースは海岸から離れ奥に入った。 街中の中心に大東寺が見えてきた。 比較的新しい建物で、その向かい側には壁の剥がれかけた家も混在している。

船宿なごみ亭

大東寺


隣は立派な日本家屋の屋敷です。門塀が比較的新しく家屋を囲んでいた。 昔の建物は格子のような目隠しが特徴です。 散策して気がついたのは街中が非常に綺麗。 ゴミ一つ落ちていないので清潔感溢れる街並みは好感が持てる。




大通りから一歩街中に入ると道が狭い!



大正時代の雰囲気の建物

七卿落遺跡…幕末の混乱のなか三条実美ら5人の公家は幕府派の追っ手から逃れるため、長州へと向かった。 その時、御手洗で船の風待ちをし、ここの庄屋竹原屋に宿泊した。…(案内書から) という訳で海岸通りに面したこの日本家屋を庭のほうから見学!石碑や説明板を読んで納得! 立派な屋敷ではないが門扉なども保存。 庭のほうからは小さく感じたが、正面玄関へ回ると平屋と思ったが2階建てです。 県指定史跡で今後も大切に保存して欲しいものです。










七卿落遺跡前の海岸通りから対岸を眺めると、瀬戸内の眺望が良く島々に架かる橋も綺麗に撮影できた。 恵美須神社は七卿落遺跡の隣にある。

恵美須神社

七卿落遺跡と恵美須神社は御手洗町の突端にあり、海に突き出ているような街並みです。 江戸時代は山から海岸までの幅が少なく、年代ごとに少しずつ埋め立てが行われたようで、 昔の護岸跡の石垣が街中にあると説明を受けた。 船着場が少しずつ沖に向かう地形に、御手洗町が出来た。

海岸通りから街中の路地に入る。ここまではマップ通りに散策。 街中はかつての中心街に入り見所が目白押しで、見逃さないように注意して歩くが義兄夫婦と一緒だからどうなるか?
七卿落遺跡の路地を入ると大正時代の雰囲気の洋館があった。 内科、小児科、レントゲン科、越智医院と右からの文字列でしかも医は昔の文字だった。

越智医院

大正時代の雰囲気の洋館から再び恵美須神社へ回り込んだ処に素敵な日本家屋を発見し撮影。 気がついたら皆とはぐれてしまい、思わず「ヤバイ!」…路地をウロウロしながら妻を捜す。 …再合流した。撮影に夢中になると思い込みが強いから。(こんな性格だから山梨の西沢渓谷で滑落事故を起したのかもしれない!)


案内マップで乙女座跡まで戻り観光を再開! 乙女座跡の入口に入館は有料と記してあり中へ入ると誰もいない。 声を掛けたが誰も出てこないので入口で一枚撮影して出てきた。
乙女座は元映画館とあったが、どう見ても演劇館の様子で内部は立派な造りで驚いた。 外観は文明開化の時代を彷彿させる建物です。







タバコ店であり、雑貨店であり何でも揃う店

乙女座跡を通り過ぎると路地の角に昔懐かしい看板を見つけた。 看板には「国定教科書取次販売所」とあり、昭和時代の学校では、 このような看板のある処で新年度教科書を親から購入してもらった記憶がある。 小学校の頃は文房具店でしたが、地方ではタバコ店であり、雑貨店であり何でも揃う店のようです。 見たところ現在は営業していない。 タイル張りのショーウィンドゥも懐かしい景観。

このタバコ店の先に時計屋さんがある。 表に出ている新光時計の看板と家屋の二階に丸い時計が路地から見る事ができ、離れていてもすぐわかります。 このお店が脇坂屋のお兄さんが一生懸命に教えてた処だなと納得! 明治時代創業の時計屋さんです。 その時計店の目印になっているのが、レトロ調の赤時計の看板。 街中の散策で看板は一際目立った。 約70年前に作られたSEIKOの懐中時計を模した看板で、 店内には140年前の創業時から時を刻むアメリカ製の大時計もあった。

マップによると松浦時計店と案内があるが看板は新光時計店とある。 名刺を戴いたら屋号は「新光時計店」でした。 お店の中に入ると正面に大時計が時を刻んでいた。 「これが日本一古い大時計」思わず感嘆! 古いイメージは無く、木目も磨き上げられ、時計内部だけでなく、外側も綺麗です。 …コチ、コチ、コチ。振り子が動くたびに正確な機械の動きが感じられる。






ご主人は現在も現役で時計の修理をされています。仕事場を外から拝見した。 太陽の自然光の明るさで時計の分解組み立てをする。 同じ様な部品が数多くあるから、仕事に取り掛かると終わるまで一気に成し遂げなければならない。 松浦恵一さんにお話を伺ったところ、NHKや東京TVなど数多くの番組で出演され、雑誌にも紹介されていた。 それにしても私は松浦さんの温厚な人柄に、強い信念を感じた。


松浦時計店のご主人、松浦恵一さんの「匠の技」が呉市広報に紹介された。
話に夢中になり、松浦さんの仕事の邪魔をしてしまった。 観光客への心配りも人の温もりが感じた。 松浦時計店を後にして連れを探しに…「お〜い!どこだぁ!」

常盤町の街並み…250年もの時を刻む街並みが美しいです。洋館と丸いポストに挟まれた路地は常磐町といい、街並みが特に美しい。 竹原市の古い町並みでも、ご覧のように家の表に花を飾っていた。 たまたま通りがかったら、花を飾る瞬間を見たのでさりげなく撮影。

常盤町の街並み お食事処は準備中





常盤町の街並み…連れを発見!





御手洗の昔の写真が複製で掲示

この通りがちょっと素敵。路地の雰囲気もなかなかいいでしょう。 次は前後左右見ても、古い町並みが続き、ご覧のようにいい感じ。 その中心に潮待ち館がある。ここは豊町観光協会が運営していて、 お土産販売コーナー、喫茶休憩所があり、観光案内の受付をしている。







潮待ち館

潮待ち館前にいる人は犬を連れての散策。 この時は何も思わなかったが、後で昼食の時に寄った処で再び逢った。 九州から車で観光に来ているとの事です。 私達は案内図を半分ほど回った処で、義兄さんが休憩をとりたいというので、 この隣に「旧菊伝」という建物の中が見学できる所があり、そこで休憩。

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