■ 輪王寺大猷院の歴訪 ■

日光山の社寺は東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、 明治初年の神仏分離令以後これらを総称して二社一寺と呼ばれている。 日光へ観光に行く時は必ず一つや二つの由緒ある歴史見学を加えて観光の目玉にしている。 今回の輪王寺は本堂が改修工事に入ったので、その中の一つの大猷院へ訪れてみた。


二荒山神社前は広い通路になり大型バスが入れる駐車場がある。 大猷院へ向かう途中に常行堂と法華堂があり、それぞれ撮影したが逆光気味で映像は良くない。 初めて大猷院の見学で高揚した気分で拝観受付所に向かった。 受付所で階段の段数が多いのと積雪があるので滑らないように注意と言われた。

常行堂

法華堂

仁王門
通行止めですが地図によると慈眼堂へ…

拝観受付所から撮影

大猷院霊廟は徳川三代将軍家光公の霊廟で家康公を深く尊敬したといわれ、東照宮の方向を向いて建立されている。 家光公の母は戦国武将の浅井長政の娘で織田信長の姪にもあたる江であり、家光公誕生後は福が乳母となる。 福は後の春日局で一時期大奥を仕切った。まだ存命の家康公とも懇意で三代将軍への布石にも動いたと云われている。 NHKの大河ドラマも始まり、私にとってはこの時期に大猷院へ訪問するチャンスと考えた。 石橋を渡ると八脚楼門入母屋造りの色彩豊かな大猷院の仁王門が迎えてくれる。

仁王門は1653年に建立され、朱色を基調とし上部は黒を基調して金の飾り付けがされている。 入口門としては落ち着いた彩色で威厳を感じた。これから先、幾つもの門が楽しみになった。

大猷院霊廟仁王門

水屋


奥の岩から湧出した水が…

仁王門の先は広場になり右正面に水屋がある。水屋の水は奥の岩から湧出した水が石の樋により水屋の水盤まで導かれていた。 珍しいので撮影!
仁王門の左側に朱色の宝庫がある。校倉造りの建物で金色の飾りが印象的でした。 その隣には四代将軍家綱公のお手植えの「槙」という木がある。

宝庫

別当所竜光院…大猷院霊廟を管理する僧院
四代将軍家綱公のお手植えの槙

大猷院霊廟二天門

別当所竜光院へはロープが張ってあり中には入れないので此処から撮影! 二天門へ石段を登っていく時に両側の石垣には歴史を感じるコケがびっしりと張り付いていた。
石段の途中にある二天門は朱色が基調で上層は極彩色の門です。 「大猷院」の扁額があり、両側に持国天と広目天の二天が安置され、これが門の名前になっている。



二天門前から水屋

二天門上方

二天門の脇鳥居


二天門の右側の塀

二天門正面

夜叉門から二天門を…

高台から境内が良く見渡せる。両側には石灯篭が数多く見られる。 二天門を通り過ぎ、さらに石段を折れて登る。 下方を見ると2、30m登った感じになった。 境内の視野が広がり大猷院霊廟の広さと奥行きを感じることができる。 上方に目をやると大きな楼が両側に立ち塞がる。下から見上げるから余計に圧倒された。 右側が鐘楼、左側が鼓楼で1653年に建立された。入母屋で銅瓦葺き、下層は袴腰、上層は高欄になっている。 全体的に黒に極彩色で格式を感じる。

左側に鼓楼 右側に鐘楼

夜叉門 左右の回廊を合成(イメージとしてとらえて下さい)

この鐘楼、鼓楼の正面に夜叉門と左右に広がる回廊が建ち聳えている。 色彩が統一してあり、階段を登る途中から見ると圧倒される建築物です。 夜叉門の両側前後にある4体の夜叉が鮮やかな色彩で目立ちました。 この夜叉は東西南北を指すと云われ悪人を喰らい善人を守護するという。

大猷院霊廟夜叉門

夜叉門の装飾は全てが牡丹唐草模様で別名、牡丹門とも云われる。 夜叉門の左右の回廊が大猷院霊廟を囲んで鎮護していた。 ここから大猷院の最奥へ歴訪します。

唐門から最奥の皇嘉門へ、歴訪で胸が躍り、すべてを見逃さないぞ〜!という感じ。 鐘楼、鼓楼から夜叉門を通り唐門まで到着。 通路以外は積雪で覆われ足元に注意をしながら歩く。
夜叉門を通ると唐門が迎えてくれる。 瑞垣に囲われた拝殿は東照宮にも劣らない素晴らしい建築です。

鐘楼 夜叉門前から撮影

夜叉門
鼓楼

唐門

夜叉門に入ると一面積雪で狭い幅の通路のみ除雪してあった。 境内は左右対称で夜叉門から唐門まで約10m弱の距離。 夜叉門の回廊と違い唐門の左右に広がる塀は瑞垣と呼ばれ、 東照宮と似た建築様式で繊細な彫刻の技術と落ち着いた感じの色彩です。

夜叉門の内側の回廊 唐門と瑞垣


3枚撮影して合成

全景を撮りたくて端まで行ったがシューズに雪が入り冷たく濡れていくのが判った。 端まで行ったが距離が無く無理矢理と云う感じです。 改めて3枚撮影して合成したが今一でした。
唐門の正面に拝殿があり、正面からは内部が見えない。 振り返ると唐門の瑞垣の内側が順光の関係で綺麗に撮影できた。 左右の瑞垣をよく見ると日当たりの関係で積雪量が違っているのが判る。

唐門の装飾

日当たり良好

拝殿の正面

日差しが少ない


拝殿内に入る前に格調高い彫刻と装飾を撮影。拝殿の龍の彫刻やその一部を撮影。 ここからは撮影禁止区域でカメラは暫くお休み。
拝殿内部は照明が少ない処に重要文化財が並び中央に祭壇がある。 奥行きがあり私の視力ではよく見えない。 目が慣れてくると室内の装飾や展示物を確認でき歴史を感じた。 妻と二人、正座して合掌した。



拝殿


本殿

外に出ると日差しが眩しく感じた。 拝殿、相の間、本殿は繋がって建立されている。相の間は拝殿と本殿を繋ぐ建物です。拝殿は黒と金色のイメージです。 相の間、本殿は全体が金色のイメージの建物。歴史を紐解いていくうちに大猷院のほぼ全部が1653年の造営で、 大猷院霊廟を管理する僧院の別当所竜光院以外は建築当時のままで次世代へ残して欲しいものです。

手前が本殿、向こう側に拝殿 瑞垣の外側に御供所がある

本殿の奥に隠れるように御供所があり、本殿と渡廊で繋がっている。 御供所は霊前に供える御供の調理所です。 覗いてみたが瑞垣の高さに阻まれ、離れた位置から撮影。
瑞垣は本殿を囲む屋根付きの塀で正面の唐門から左右に伸びて緑青に彩色された精巧な格子が付いている。 腋門は本殿の右側奥にあり、奥院へ向かう通用門になっている。 小さな門ですが扉の装飾は彫刻が施されている。 見るもの全てが国重要文化財で国宝級と云っても過言ではない。

瑞垣

腋門
瑞垣

皇嘉門

腋門の処で同世代の人と立ち話!鬼怒川から来た夫婦は足元暗しで大猷院へは来た事がないという。 話の途中で腋門の撮影をしたかったが、話好きの妻はお喋りの佳境にはいっている。 カメラを構えていても、なかなか会話が弾んで終わらない…
腋門を入ると正面に奥院へ向かう皇嘉門が現れる。皇嘉門は徳川家光公の墓所である奥院の入口門です。 中国の明朝の建築様式で竜宮造りで、今まで見学してきた建築様式とガラッと変わった。 白い曲線の壁と上部が極彩色で美しい門です。皇嘉門から先の奥院は非公開になっている。

皇嘉門から奥院への石段を…

皇嘉門からの通用出口の景観
皇嘉門からの通用出口

唐門のもう一つの通用口

外側から見る瑞垣は光線の関係か黒を基調に金色の飾り付けが煌びやかで緑青の透塀が際立ち、上の欄間 には様々な形の鳩が彫刻されている。瑞垣のもう一つの通用口からは相の間の一部が見えた。 ここから唐門の方向へ瑞垣に沿って戻るかたちになる。


突き当たるまで戻ると丁度、唐門と夜叉門の間に出る。ここが一段高くなっていて夜叉門と回廊が見渡せる位置になり、 絶好の撮影ポジションで数枚撮影!境内にある灯篭の位置関係もよく判る。灯篭も仔細に見るとそれ ぞれ形や紋様が違っている。
公開されている輪王寺大猷院の最奥まで見学が終わった。現在の日光山の形態を造った家光公に相応しい墓所 と感じた。ただ長期的に見ると江戸幕府の資金は減少したと云われる。

輪王寺大猷院人界庭園

輪王寺大猷院人界庭園…石灯籠と苔が織り成す庭園は入れない。帰路の途中、展望所というか、二天門と 夜叉門の石段の中程から見下ろす事ができる。別当所竜光院の境内に石灯篭が綺麗に整列していた。 案内板には「天界から人海庭園を眺めて御覧ください。」とあり、遠方から見ると、あたかも人と見間違えるような感じです。
輪王寺大猷院の見学が終わり、拝観受付所の出口で喫煙しながら、何故か、「フゥー!」とため息が出た。 何度も日光へ来ているのに、知っているようで知らなかった日光!まだまだ日光には知らない処がありそう。 特に史跡探勝路 神橋から滝尾神社のコースも魅力的です。

二天門の位置から人界庭園を覗いた

帰路に仁王門を

ペンション風のお宿

常行堂の脇を通って、一路、国道120号線、ロマンチック街道前の駐車場へ戻る。 大型バスが次々と観光客を乗せてくる。歴史探訪はこれで終了です。 後半の観光は冬の日光、雪の日光を楽しみに撮影を続けます。

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