■ 特別史跡 特別名勝 小石川後楽園 ■

大泉水は琵琶湖を模して造られ、蓬莱島から離れて竹生島がある。 初めは小さな岩と思っていたら無くてはならない要素でした。ただ、周囲が保存修復中のため識別は難しい。 庭園内は神田上水の分水があり、緩やかな流れがある。 池の端には水門もあり、ここでゴミを濾していた。


再び大泉水に沿って散策を再開。蓬莱島を左手に見ながら次々と景観が変化し、岩場の形が大きく変わった。 樹々の間を小鳥が飛び交い、鳴声が上方から聞こえる。グループの集まりがガイドさんの説明を聞きな がらゾロゾロと通り過ぎ撮影再開。



蓬莱島





松原

蓬莱島から離れて広場になる。 ここは大きな樹が点在して明るい広場で庭園マップでは松原と云う。 ここに九八屋と記された昔風の小屋があり情緒を演出。 竹囲いの小屋前に鮮やかな花が咲き乱れ、小庭のような感じで、通り過ぎる人が鑑賞してる。 九八屋の隣には井戸跡と思われる屋根囲いの景観も気に入った。

九八屋

昔の出入口門?修復中


九八屋の奥の道を進むと古い門がある。 柱の様子も朽ち果てた感じで修復中なのかシートが覆ってあり、隣が東京ドームのため判らないが、当時はここも出入口だった。 松原に戻り、マップを確認すると大泉水に白糸の滝があるが、地図と裏腹に生憎、修復工事中で通行止めになっていた。 反対方向へ進むと景観が一変し、田園風景が現れた。



堤に沿って藤棚が…
田園風景

庭園内に田園があるのは珍しく、昔、水戸光圀公が我が子に農民の仕事を理解させる為に造ったという。 現在は文京区の小学校の生徒が来月あたりから田植えに入るという。 田園には一部、花菖蒲が植えてあり緑の絨毯だ。

神田上水跡

梅林


田園の向こう側には神田上水跡が残っている。 (最初に見たものは現在の神田上水の分水です。) それを境に藤棚やいろいろな種類の梅林が散策道の両側にエリア分けされている。 梅林は季節ぎてしまったが、今は新緑が染み通るようで木陰から見る田園風景は見頃です。



八卦堂跡


梅林を進むと樹々がこんもりと繁り暗い中に石段が現れた。 登っていくと八卦堂跡と記された石畳が中央に残っている処に来た。 光圀公が将軍に謁見した時に貰った文昌星を後に八卦堂を建立し像を安置したと云われるが、惜しくも関東大震災で焼失。 この高台から樹々の隙間から地下鉄丸の内線がみえる。 これも新発見で通過する瞬間を撮影し散策道に戻った。

八卦堂は小石川後楽園の一番高所にあり、石段を降りる時、庭園が一望できる。 暫く、石垣に座って休憩した。 少し汗ばみ日陰の中で風が顔にあたり爽やかな気持ちになる。 一直線の石段は京都のお寺の石段を模して通行はできないが、石段を見ながら脇のスロープの石段を下に降りる。

八卦堂跡から園内を一望



通行禁止

神田川上水跡と水門

石段を降りた処は神田川上水跡の水の流れがあり、水門や花菖蒲、藤棚の景観が映え、よちよちの子供が真っ直ぐ歩こうとしても、左右に蛇行するから、後からお母さんが上水跡に落ちないか気遣いしながら散歩している。 新緑の濃淡が陽光で映え、今の季節の一番の美しさを見せてくれる。
田園風景と梅林やカキツバタ、八橋の境に小高い堤が上水跡に沿ってあり、この堤が景観を引き締めるポイントとなる。 堤に沿って藤棚があるが6月頃になれば紫色のカーテンが見れる。 先端の蔓には紫の花が咲いていた。

神田川上水跡は園内を横切る





修復中の円月橋

散策路は最終ポイントになり林に覆われた間を入ると目の前に修復工事中の円月橋が見えた。 光圀公が明の儒学者に設計を依頼した円月橋は水面に映るとまん丸に見えることで、この名前が付けられた。 工事は今年いっぱいかかるので来年のお楽しみに。

円月橋を撮影し林の中を進むと、松原と同じくらいの広場に出た。周囲が林に囲まれて、大きな休憩処がある。 団体用と記され、一方の壁に後楽園の四季、野鳥の姿の写真が展示してあった。 この写真は、池端のベンチで一日中撮影に没頭したマニア達です。 喫煙処は離れた処にある。



最後の休憩処
団体用休憩処

休憩処の展示写真で後楽園の四季は雪景色もあり撮影の勉強になった。 喫煙休憩し足腰の心地よい疲労感があるが風通しが無く最初の休憩処に向かった。 赤いベンチの休憩処は明るく見通しがよく、スポーツドリンクを一気に流し込むと喉が潤った。


お昼を回り午後1時半。飯田橋の何処かで食事をしようと帰りがけにブラブラしたが、気に入る所が無く、結局、自宅の駅まで戻った。 駅前の商店街に入り、いつもの中華店で餃子とビールと胆麺を食した。 自宅に戻ったのが15時過ぎ、天気に恵まれ久々の外出でストレスを発散した。

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