■ 江戸城歴訪 桜田門から大手門へ ■

東日本大震災後で旅の自粛ムードの中、いろいろな意見があるが、妻と東京の春を探した。 丁度、1年前に福島、宮城、岩手へ三陸に沿って旅した記憶が蘇る。 そこで都内の公園で一度も訪れた事のない皇居、江戸城の歴訪に向かった。 開園が9時で自宅を8時頃に出て、有楽町線で下車駅桜田門駅に向かった。


東京地下鉄有楽町線の桜田門駅で地上に出ると、今日もジョギングの愛好家がお濠に沿ってランニングを楽しんでいる。 江戸幕府末期に井伊大老が水戸藩士に暗殺された桜田門前の景観は東京警視庁、国会議事堂、桜田濠が快晴の中に映えている。

桜田濠



国会議事堂

桜田門の渡櫓門
桜田門



桜田門(高麗門)と警視庁

撮影してると通過するランナーの人達が思い思いのスタイルだ。 ペットボトルを片手に水分補給しながら、携帯で通話しながら、ランニングというよりジョギングでお喋りに夢中の人々が通過。 平和な日本を象徴する風景だが複雑な思いがある。



渡櫓門の鯱鉾


桜田門前から江戸城歴訪をスタート。 ここは当時、木橋が架かっていたが、大正時代の関東大震災で破損し修復され、現在は道路になっている。 門の屋根には鯱鉾が飾られ、門を通る人に無言の威圧をかける。



二重橋と伏見櫓


ここから二重橋、伏見櫓に向かい皇居広場をお濠に沿って歩く。 …砂利の部分を歩くと靴を通し足の裏に心地よい刺激が伝わり気持ちが良い。 二重橋の前まで行けるが皇宮警察から震災で二重橋付近が立ち入り禁止になったと言われた。 震災の影響が及んでいることを実感。

二重橋のスズランの形をした飾電燈はドイツ製で明治時代に付けられた。 西の丸から入る大手門ですが現在では皇居正門です。 天皇誕生日と新年の一般参賀の日に入場でき、望遠レンズを通し、近くから伏見櫓と二重橋を見るのは初めてで、 江戸城から皇居への変貌を見る事ができ妻も喜んだ。

伏見櫓




二重橋と伏見櫓


皇居正門から砂利道を坂下門へ向かう。門前で妻は皇宮警察の人といつものお喋りタイム。 皇居に観光に来る人で、礼儀(マナー)知らずの人がいて困ることがあるという。 会話を聞きながら坂下門は桜田門と同じの渡櫓門でした。 江戸時代はそれぞれ枡形だったが現在は渡櫓門だけに改修されている。

坂下門の奥には明治建築のひとつ、宮内庁庁舎を見る事ができる。 皇宮警察の方に今日、時間があれば9時から大手門から皇居東御苑に散策に行かれたらと言われた。 …それが本来の目的と言えなかった。

坂下門の渡櫓門は桜田門と同じ

蛤濠

宮内庁庁舎



桜田二重櫓付近から桜田門方向の景観

…と云う訳で、私達は旅行者になりきって蛤濠に沿って散策を続けた。 蛤濠と桔梗濠を分けているのが桔梗門で普段は皇宮関係者、宮内庁の出入口です。 道幅が狭く両側に松が植えられたお洒落な門構えです。



桔梗門


桔梗濠に沿って桜田二重櫓に向かう。桔梗門から桜田二重櫓に沿っての景観は江戸城のイメージが残り美しく見える。 石垣も野面積み工法が見れて、石垣の積み方で時代考証ができる。 江戸城も長い年月を経て何度も修復が繰り返されてきた。



東京駅から一直線
桔梗門の高麗門と渡櫓門

桜田二重櫓

桜田二重櫓の一角が皇居前広場の広い駐車場になり、観光バスが出入りできる唯一の処です。 東京駅の姿が見えるが逆光で判りにくい。 時々、東京駅から二重橋まで馬上の皇宮警察が馬車で通過するのを仕事中に見た。 その時は普段閉鎖されている中央の道路を一直線で隊列を組んで闊歩していく。

桜田二重櫓と大手門の間に石垣が修復中でした。 初めは東日本大震災の影響かなと思ったが、江戸城を築城する際に巨大な石を船でお濠から敷地内に運び上げた遺構だという。 城普請のひとつとして、遺構が発堀され研究調査されている。

遺構発堀調査中の濠端

富士見櫓

大手門の高麗櫓と渡櫓門

江戸城の正面、大手門前に到着。大手門は橋があったが大正時代の修復時に埋め立て現在のように道路になった。 それでも門形式は当時のままで枡形門の形を残している。 高麗門を入ると右手に渡櫓門があり、この一角が塀で囲まれている。 桜田門から各門を回ってきたが、江戸時代はこの型の枡形門が主流だった。

白壁が一部剥がれた渡櫓門

大手門前に到着。現在8時50分で、門前にはチラホラ皇居東御苑の開園を待つ人がいる。 門前の広場前を皇居周回のランニング愛好家が数珠繋ぎで走り過ぎる。 高麗門付近を観察していたら、大手門の渡櫓門の白壁が一部剥がれ落ちていた。 これは先月の東日本大震災の影響で、皇居の建物にも被害が及んでいた。

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