■ 江戸城歴訪 大手門から本丸天守跡へ ■ |
|
一番乗りで入園 渡櫓門 |
明暦3年(1657年)の鯱鉾 大手三の門入口の石垣 |
渡櫓門に入り振り返り撮影。渡櫓門から生垣に囲まれた済寧館と書かれた屋敷が見える。
正面奥には大手三の門跡の枡形石垣の入口があり、右奥に同心番屋がある。
この番屋は明治初めまでは大手三の門石垣の外側にあった。
|
済寧館 大手三の門入口の枡形石垣 大手中の門 |
同心番屋の屋根瓦には葵と菊の紋瓦が混在 百人番屋 大手中の門 |
大手三の門から傾斜のきつい奥行きのある広いエリアが続き、その右奥に大手中の門が立ちはだかる。
江戸城に登城するための3番目の門です。数々の地震で石垣のズレが生じてきた為、大掛かりな修復がおこなわれた。
石垣に付随する門は明治政府によって撤廃。門の右側に高位の役人の大番屋がある。
|
大番屋 中雀門 |
大手中の門の大番屋 | |
最後の中雀門を通ると本丸に入る。本丸は入口の大広間、中奥、大奥、天守閣と奥へ続く。 今日の歴訪の楽しみの一つに富士見櫓の見学がある。 中雀門から一番最初、左手前にある小道を進み富士見櫓へ向かう。 富士見櫓は江戸城本丸で現存する唯一の櫓です。 |
富士見櫓 | |
| 富士見多聞櫓 |
富士見櫓の撮影後、本丸の表、大広間や吉良殺傷事件のあった松の大廊下跡付近を散策。 さらに本丸に沿って行くと中奥と云われる将軍の執務や居間跡付近まで来た。 そこには本丸を囲む城壁の一部で富士見多聞櫓が現存。 多聞櫓の向こう側は蓮池濠があり高い石垣で本丸を囲っている。 |
富士見多聞櫓 石室 |
| 竹林 |
富士見多聞櫓をさらに進むと石室がある。
石室は石垣で囲われ、小高い盛土に覆われ樹木の間にひっそりと隠れるようにあり見逃しやすい。
宝物を発見したような気持ちで案内板を見ると、当時の御殿の貴重品の収納庫でした。
一部、石垣がずれ焼損した状態で、江戸城の長い歴史を物語るように鎮座している。
|
天守閣石垣 一部、石垣には焼けた石が |
| | |
現在の天守閣石垣は江戸城大火で焼失した後、加賀前田藩によって土台が造り直された。 しかし当時の江戸城下の復興が優先され、戦時に必要な天守は不要論が大勢で、その後は土台のままの状態で今日に至る。 天守台の手前には小天守があったが、焼失後に、非常時の為に井戸が掘られ、金明水と名付けられた。 |
井戸 金明水 |
| |
|
本丸御殿跡…現在は公園広場 |
| |
展望台のような石垣上から石垣の遺構、南側には手前の大奥付近から表エリアまで広がる公園、北桔梗門、北の丸にある武道館、桃華楽堂が眼下に見れる。 天候が快晴で青空の中に際立っていた。 |
石垣直下にある北桔梗門 桃華楽堂 |
北の丸の武道館 | |
桃華楽堂は私達にも馴染みのある香淳皇后の還暦をお祝いし、1966年に建てられた音楽堂です。 香淳皇后の誕生月が3月の桃の節句にちなみ、この名称がつけられた。 江戸城に違和感があるが100年後には一つの名所になるかも? |
|
||