■ 紀伊大島巡り ■
今日の天候では撮影は難しいと思いながら事前に訪問してどういう処か見て回ろうと、 残りの時間を紀伊大島を走って見る事にした。一番先端の樫野埼灯台まで一本道の道路は観光道路として整備されていた。 地図で見ると潮岬のエリアより紀伊大島のエリアの方が面積が広く、枝道路が各方向に伸びている。 島内の最先端、樫野埼灯台入口まで来ると公園の様な綺麗な駐車場に到着。ここから先は遊歩道。 夕方になり観光客の出足はまだまだある。遊歩道を行くとトルコ記念館があった。


串本町はトルコ共和国と友好関係を結んでいる。きっかけは、明治23年、トルコ国の皇帝使節団の軍艦がここで難破した。 島民は救助活動を続け69名救助したが、580余名の乗組員の命が失われ、県民はこの地に遺体を埋葬し、慰霊碑を建立した。 その後、昭和12年にトルコ共和国が新たに慰霊碑を建立した。

トルコ記念館








途中遊歩道は半分の幅になり、この地の特産の金柑やトルコのお土産店が並んでいて外国風の情緒が見られる。 島の先端部に近づいたのか、両側に所々海が見えてきた。










トルコ軍艦遭難慰霊碑前に到着、立派な慰霊碑が中央に建立され両側に和歌山県が建立した慰霊碑がある。 狭くなった道を進むと瓢箪のように広い公園に入り、その奥に樫野埼灯台が島の先端に聳えていた。

樫野埼灯台








樫野埼灯台は白亜のモダンな建築で想像していた灯台とイメージが違っていた。 外階段で登って行くと灯火直下まで上がれます。ここから他の観光客と別れ上がる前に灯台の周囲を散策道があるので行ってみた。 景観は素晴らしいがこの天候が恨めしい!撮影してもモノクロの映像になる。 この後、賑わっていた灯台展望台に行ったが、やはり絶景を映像に残すことは出来ない。






樫野埼灯台は明治3年に日本最初の石造、回転式閃光灯台す。 良いものは年月を経ても良い!この後、名勝海金剛に向かう。 島内の主要道から狭い道に入り、点在する家並みを通って行き止まりの処に日米修交記念館があった。 海金剛はここから小道を通り島の先端部にある。

海金剛


日米修交記念館はペリーの黒船来航より60年以上前にアメリカの商船が大島に上陸したことが、 公文書に初めて記載されたことを記念した建物だです。 その脇を通って行くと手入れされた散策道があり、突端に小公園がある。高台の公園からは海に浮かぶ島礁の絶景が展望できた。 しかし天候不順でモノクロの墨絵のような映像になった。










明日の日の出の写真をここから撮影してみようと決定! 天候に左右されるが運任せ!  海金剛は朝鮮の名勝金剛山の名を由来としている。 金剛で思い出したのが能登金剛でした。






天候が不順で島礁には波頭が砕けて飛沫があがっていた。 公園の反対側にも同様な景観を見る事ができ、今の処は事前訪問です。 民宿に向かい島内を移動しようと観光道路を戻る途中で、 島といっても美しい渓谷美も見れた。せめてもの救いの新緑の渓谷です。

海金剛反対側の景観






島内の民宿に向かう前に買ったビールが温くなってしまった。 事前訪問が思ったより時間がかかり、仕方なく町へもう一度買いに出かけた。
その時に漁港では夜釣りを楽しんでいる人を発見!折りたたみ椅子に座って何本かの竿を海面に…、 ここにきて2日間釣りを楽しんでいると話していた。 カメラ好きと同様で趣味を持つことは人生の楽しみでおある。 雑談で時間を潰して妻に叱られた。 ビールを買って民宿へ向かった。

inserted by FC2 system