■ 御深井丸と西之丸、再び本丸へ ■ |
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御深井丸 | 天守閣と小天守を繋ぐ剣塀 西之丸から本丸天守と小天守の石垣 |
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西之丸 | 梅林 御深井丸 南西隅櫓(清洲櫓) |
正門 | |
南西隅櫓は清州櫓とも云われ、徳川家康が名古屋城を築城する際、織田信長時代の廃城された那古野城跡に注目し天下普請で築城した。 そして清洲城の櫓が南西隅櫓だと伝わる。 |
乃木倉庫 |
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白い蔵の前に係員がいて見学を勧められた。 案内板によると、明治初期に建てられた煉瓦造りで旧陸軍の弾薬庫だった。 当時、乃木将軍が赴任していたため、乃木倉庫と呼ばれ、煉瓦の保全のため、白亜塗りにして現在に至る。 大戦時に本丸御殿の障壁画や天井絵類をここに保管したことで名古屋空襲時に被災を免れた。 被災を免れ国重文として私達が見る事ができ後世に伝わる大切な案内でした。 |
| 不明門 天守閣の石垣には石落し |
| 御深井丸の南西隅櫓と乃木倉庫の歴史に触れ、再び、本丸に戻った。 剣塀の不明門をくぐり、本丸内に入ると天守閣の石垣には石落しを見れた。 |
天守閣と小天守の間の通路の石垣には石樋も見られ、当時の築城基準のレベルが高い事が伺える。 本丸の売店で喫煙して休憩した。家族連れやカップルが連休で大賑わいです。 私達はそのまま、本丸内の二之丸に繋がる東二之門へ向かった。 ここは清正石という巨石が石垣に組まれていた。 |
小天守 | |
天守閣と小天守を繋ぐ石垣にある石樋 修復復元工事中の旧二之丸、東二之門 |
名古屋城築城にあたり、家康は指名した戦国大名に天下普請の令を出した。
天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭ををとって木遣りを歌い民衆を鼓舞したと伝わり、二之丸に石碑
が残っているが、実際は各施行区が決まって、大名間の競争の場にしたと云う。
競争というと、いつの世も、他の足を引っ張る行為がある。そのため各施行区には、自分の区間の石垣の要所に、自分の家紋を
刻印したと云われ、それが現在でも確認できる刻印として見れます。ここにある大きな巨石は、信州上田城の真
田石の数倍の大きさでした。この区域は黒田長政の普請区の為、逸話ではないかと伝わります。
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171pの私以上の高さがある清正石 | 表二之門の内側 |
東南隅櫓の入口石段 表二之門の内側 大手馬出跡 |
表二之門をでて大手馬出跡では大道芸が披露していた。多くの観光客が周囲を取り巻いていた。 妻はいつもの事で、人垣をくぐって一番前に行ってしまった。私は後方から望遠で覗いてみた。 ボールの上に脚立を、その上に不安定ながら乗り、ナイフ投げ、けん玉を披露している。 暫く鑑賞してから妻を探して、名古屋城の歴訪を再開。 |
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