■ 本丸天守 ■

岩山山頂に築き上げた備中松山城は400年の歴史を私達に見せてくれた。 この後は天守内を探訪。妻は入城する前に高校の教諭のグループと歴史の話に夢中になり自由気ままに行動してる。

現在は西面に附属する付櫓(廊下)の出入口だが、当時は八の平櫓から渡櫓を経由し天守に入る。 天守の付櫓には下方に石落としがあり、防備に対して備えがあった。


天守は毛利時代から存在したと考えられているが構造などは不明です。 慶長5年(1600年)に小堀氏が建てた城を、水谷氏2代目、水谷勝宗が改修し、現在の姿になったともいわれる。 現存する天守は2層2階で、西面に半地下の付櫓(廊下)が附属する複合式望楼型天守です。

本丸側面

付櫓(廊下)

石落としの仕掛け
天守入口、本来は八の櫓から入る

天守入口

岡山城と備中松山城の実寸大の絵図面

付櫓の階段で本丸1階に入ると正面には当時の古い柱や尾根部分が展示してある。 内部は太い柱に囲まれ全体が各ブロックになり、中央部は天井が高く広さを感じる。 1階に調理や冬の暖をとるために長囲炉裏が掘られているが、城内で火を使うことは禁じられほとんど使われなかった。 それでも天守内に囲炉裏を発見した時は、城址巡りで初めてで驚いた。 生活の場としての天守もあれば、他の勢力に力を見せつける天守、それぞれの役割が群雄割拠した時代にはあった。



当時の古い柱や尾根部分







当時の古い柱や尾根部分

長囲炉裏




1階の端の階段から2階に上がる。 階段は真っ直ぐでなく、途中、踊り場があり、折れて階段が続く。 2階最奥には城の守護神を祀った愛宕権現や成田明神など9柱の神を祀った御社壇と呼ばれる仕切られた部屋がある。 藩主水谷勝宗が天守改修時に宝剣3振りを、この地の刀工に、ふいご峠の場所で造らせたので、ふいご峠と呼ばれるようになった経緯もある。 そして2階の広さも天守最上階としては、天井も高く広さは十分にある。

御社壇

縦連子窓

御社壇の説明の立て札


広い2階

天守内を見学し外に出た。陽光が眩しい、先程の天守内は比較的涼しかった。 木造建築の良さを感じた瞬間です。また日差しは半袖の出ている腕や首に容赦なく照りつけチリチリ肌を刺す痛さも感じた。 天守から後方にある二重櫓に向かった。 二重櫓も天守と同様に国の重要文化財で、当時の様子を見る事ができる。 二重櫓は昭和の時代に解体修理された。 この二重櫓が天守防衛に対し、どんな役割をしたか後方に回り見に行く。 腕木御門は木造本瓦葺きの棟門。本丸の裏門で二重櫓の正面にある。(平成9年の復元)





腕木御門

岩盤上に天守石垣が…




二重櫓から見た天守

二重櫓と後方に回ると天守石垣下の岩盤に興味を持ち時間を費やした。 二重櫓は天守後方支援の役割をし、ここにも立派な腕木御門があり搦手門曲輪に繋がっていた。

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