■ 紀伊山地高野山霊場と参詣道 ■

四国遍路と云えば八十八霊場の札所をお参りすることを云うが、結願するとお礼参りして満願成就するとあります。  お礼参りは厳密な定義があるわけでなく、1200年も続く歴史の中で、その時代時代に合った作法がおこなわれてきたと思う。
何が正しいかは別として、四国遍路には多様性があってしかるべきと思っています。  特に、近年は遍路の目的も手段も多様化してるから、遍路する人々の心の思いの数だけ満願成就への思いがある。
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…高野山奥の院 TOPへ…   …四国自転車遍路 TOPへ…

  …と云う訳で、私は遍路終了後、自宅に戻り仏壇に報告、そして我が家の菩提寺に結願の報告をしてから高野山に向か
  いました。 8月に入って妻と共に田舎の広島の義母の所へ向かいます。 母の顔を見て安心し、お墓参りをし、畑仕事も
  そこそこに翌日は広島から和歌山に向かいました。
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8月2日夜半に東京を出発しました。 東京中央環状線は相変わらずの渋滞が続いていたので、環八から東名用賀ICに向かいました。  8月の上旬のため、いつもよりは混雑はしていたが第二東名が開通して、距離が短いため夜行バスや長距離トラックはそちらの方へ流れていく傾向でした。  それならばと、交通量の少ない方を選択したことで、一定速度で走れて正解でした。  伊勢湾岸から、第二名神で大阪にはいつもより早い時間で通過できます。 宝塚を過ぎてようやく一段落して仮眠に入りました。  2時間ほど休んで広島の手前でもう一度2時間ほど休憩して広島入り、1泊して義母に会い、墓参りして翌日には関西にとんぼ返りします。


◆…高野山の総門(世界遺産)…◆

広島で1泊して、午前中に出発、宝塚ICで多少混雑したが夕方に中国豊中ICを出て、阪神高速に入ります。 久しぶりに大阪環状線を走ります。  阪神4号湾岸線で関空に向かいます。  途中、泉大津PAで休憩して夕方の大阪湾を眺め、泉佐野北ICで降りました。 ここから県道62号線で和泉葛城山を越えます。 連なる山系を越えると紀ノ川にでます。  上流の奈良県内では吉野川と呼ばれているが、いずれにしても大河の流れを見る事ができる。  ここから約10km上流に向かうと道の駅紀の川万葉の里があります。

道の駅紀の川万葉の里





 



到着は20時を過ぎていたので今夜はここで車中泊します。  高野山での交通混雑、駐車場混雑を回避するため、ここからならば安心です。 車内で食事をしながら地デジを見たり、道の駅にある紀の川の散歩道を夜半に散歩します。  多くの近隣の人が土手の散歩道をジョギングしていることに驚きました。 携帯蚊取り線香をぶら下げて結構長い距離を散歩しました。

さて翌日早起きして身支度してから出発! ここからは地図上では480号線経由が近いが、敢て九度山経由でナビを設定する。  高野山パンフレットから南海鉄道の九度山駅前を通過して370号線から高野山に向かうのが、一般的?と思った。  今回は車で来たので、少しでも世界遺産の高野山町石の一部を見るために370号線が無難と思う。  高野山入口の大門まで約24kmの距離は歩き遍路の人にお任せして、480号線を登って行きます。

 6時52分
南海高野線は単線です。




 
五輪卒塔婆形の石柱


高野山町石道の一部

高野山町石道(世界遺産)とは…
念願の町石を見学できました。 車を停車できる処があり妻と付近を歩き回った。  九度山町から高野山へ通じる高野山の表参道で、弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされ、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。
高野山への道標として、1町(約109m)ごとに「町石」と呼ばれる高さ約3mの五輪卒塔婆形の石柱があり、 高野山の壇上伽藍、根本大塔から九度山までの約22kmの道中に180基、根本大塔から高野山奥の院、弘法大師御廟まで約4kmの道中に36基あり、計216基の町石がある。  最初は木製の卒塔婆だったが、鎌倉時代に石柱に造り替えられたという。

 
五輪卒塔婆形の石柱




 



高野山入口、大門前

高野山について…
高野山という名称の山は無い!  高野山とは八葉の峰(今来峰、宝珠峰、鉢伏山、弁天岳、姑射山、転軸山、楊柳山、摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた標高800mの盆地状の地域です。
その入り口になるのが大門です。 大門は高野山全体の総門で、1705年再建された国の重要文化財と世界遺産です。  重層5間三戸、入母屋造り銅瓦葺き楼門で造られたが、元禄年代に炎上し宝永年代に再建されたという。

 7時半に到着
赤丸部分が高野山町石道からの道




 
高野山大門


弁天岳登山口

 



大門前は三叉路で、ここに九度山から続く高野山町石道も合流しています。  車の止める処が無く、三叉路のそばに神社の入口があったのでこの脇に車の頭を突っ込んだ形で駐車して撮影しました。  大門の横に弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天が祀られている。

 





 
左側に、検知處々之遺跡


右側に、不闕日日之影向

大門に掲げられている左右の柱聯(ちゅうれん)について…
柱聯とは、柱や壁に相対に掛けて飾りとする長い書画の板です。  その意味は、弘法大師は高野山を入定の地と定め、弥勒の浄土である都卒天の雲の上におりつつ、弘法大師のいわれのある旧跡や遺跡に日々影向する。  いわゆる弘法大師入定信仰を意味する。

大門をくぐってからの映像
大門にある高野山町石




 



ここから高野山内へ入るかたちになります。  高野山情報で今の時期、どうしても8時前に山内に入りたかった。  その理由は駐車情報で、数少ない駐車場エリアが早いうちに満車になるという情報を得ていたからです。  勿論、高野山内の見学は歩くから、そのために長時間駐車できるエリアに車を置きたかったからです。

これから2日間、高野山の歴史と参詣をします。 遍路姿の自転車で訪問も考えたが荷物を積んでの24kmは相当厳しいと感じた。  何より妻と一緒に高野山に参詣できて良かった。


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